たまには昔の話を
ブラッドとフリーは、久しぶりに二人だけで酒を酌み交わしていた。この地に出現した魔物を討伐し、夜の村ではささやかな宴が行われていたからだ。ひとしきり村人への挨拶を済ませた二人は、たまには他の団員がいないところ──村の外れまで出て話をしよう、と人々が踊る輪の中を抜けてきたのだった。二人のいる場所はなだらかな傾斜のある丘になっており、少し遠くに集落の明るい火と、さらに先には暗闇の中できらりと光る海が見える。
「フリー、昔みたいに自分が飲める酒量を見誤っていきなりバタンと倒れるなよ」
「昔より、酒との間合いは取れてるつもりです!」
「そんな言い方になるのが怪しいんだよ。若干目が座りかけているが」
「いえ、ブラッドさん! まだまだです」
「やめとけよ」
ブラッドは苦笑しながらフリーのジョッキの上に手を差し込み制した。フリーは少し潤んだような、黒目がちな目を細めながらブラッドに微笑みかける。
「俺は、久々にブラッドさんと二人で話せる時間ができて、嬉しいです」
「……そうだな。用件があって話をする、ってわけじゃないのが、何だか楽しいな」
温かな声と少し遠くから聞こえるさざ波の音がフリーの耳に心地よく響いてくる。
「あのブラッドさん、俺」
「なんだ、改まって」
「スクーレに戻ってもまたこんな時間を取ってもらってもいいですか?」
「もちろんだ、またこうやって飲もうか」
「……! ありがとうございます‼︎」
「酒じゃなくてもいいけどな」
「はい!」
互いに言葉という言葉は発さず、しばらく沈黙が流れた。しかしその沈黙は、今この時の時間を二人だけで共有しているという暗黙の了解のもとの、どこかあたたかい静けさであった。しばらくすると、ざくざくと木の葉を踏み締める音が聞こえ、徐々にこちらへ近づいてきた。
「ブラッド、フリー、こんなところにいたのか。あんたたちは踊らないのか?」
静寂を破ったのは弟子のレオの足音であった。
「俺は……遠慮しておく」
踊るなんて大体ロクなことがない、フリーはそう言おうとした瞬間、ブラッドの声が発せられた。
「なんだ踊ればいいのに、そういえば昔ネルゴーの案内人に変な踊り振りつけられてたよな。くねらせる〜くねらせる〜ってやつ」
「変なこと思い出さないでくださいよ、ブラッドさん!」
「それならこの前、僕も見たぞ。変な体操してたな」
「やめろレオ! あれは不可抗力だ」
左に右に思い出したくない事柄がばかりが聞こえてくる──フリーは珍しく表情をくるくると変え対応した。その様子を可哀想に思ったブラッドは、話を変えるようにレオに声をかけた。
「こっちにもレオの楽しげな曲が聴こえてきた、よかったよ」
「まあな」
「最近レオも進んで輪の中に入って行ってるな……。昔はダサいから嫌だって言って斜に構えてたのにな。立派な進歩だ」
「何年も前のことだろう――ダサい時のことを思い出させるなよ。それに村の輪に入ると、知らない歌を教えてもらえるのがまあまあ楽しい。僕は最近行った場所の歌を覚えるようにしているんだ」
レオは手元でポロンポロンと音を鳴らし、ハープを試奏した。ブラッドは興味に揺れる瞳をレオに向け尋ねた。
「今日はどんな曲を教えてもらったんだ?」
「今日は冒険の歌だな」
「聴かせてくれないか」
「高くつくぞ」
レオは口の端を少しあげ、笑みを二人に向けた後、芯のある、そして高く澄んだ声で歌い始めた。
──祈れ「旅が長くなりますように」と
「多くの冒険に満ちたときでありますように」
祈れ「未知の喜びが溢れる夏の朝が幾度となくありますように」
美しい品々に触れろ 真珠、琥珀、月の涙に翡翠の宝石
旅の香辛料は、胡椒、岩塩、シナモンに月桂樹
広い世界を駆けていけ
巡り巡った冒険で 多くの叡智を得るだろう──
曲が終わるとブラッドとフリーは拍手を送った。ブラッドは感心した顔でレオに声をかける。
「レオ、随分と昔の曲を知ってるな」
「ブラッドさん、この曲を知っているんですか?」
興味深げにフリーは尋ねた。
「ああ、二〇〇年くらい前にこの辺りで流行った曲だったんじゃないか」
「二〇〇年前⁉︎ この辺りに住んでたりしたのか?」
「なんで知っているのかも、忘れてしまったな」
「まあブラッド、じいさんだからな」
「やめろレオ、ブラッドさんになんてことを言うんだ」
「事実じゃないか」
「ブラッドさん、すみません!」
「気にするな、いつものことだし」
賑やかな会話が続く。フリーはふと目を細め、遠くを見やった。
「ブラッドさんが二〇〇年前に見た風景、どんな景色だったんだろうって気になります」
「そうだな……この辺りはもう少し暖かくて、昼寝するには最高だったな。夏は暑かったけど夜の風が心地よかったよ。ぐっすり寝るにはいい」
「ブラッド、寝てばっかりじゃないか!」
そんながやがやとした会話を続けていると、談笑する方向へと歩いてくる人影が見えた。団員のスレイであった。白い刺青の入った顔には笑みを浮かべ、手首につけた鈴をカラカラと鳴らしながら手を振る。
「団長ー! こんなところにいたのー⁉︎ 村長が呼んでるよー!」
ブラッドはやれやれと苦笑をし、重い腰をあげた。踏みしめた枯葉の音が聞こえる。
「悪い、挨拶しに行ってくるよ! お前たちも楽しめよ‼︎」
そういうとスレイと二人、村の火の光の方向へと戻っていった。
フリーとレオはその様子を見送った。ひとしきり時間が経ったのち、フリーはすっかりと酒の抜けた表情でレオを見る。すると、少しばつの悪そうな表情でフリーの顔を見やった。
「なんだかあんたたち二人の邪魔をしたみたいだな」
「いや、いいんだ。レオの歌声も聴けたし、ブラッドさんの笑顔も見れた」
「ブラッドの笑顔ね、僕は興味がないけど。……ところで、何の話をしていたんだ?」
「なんてこともない、取り止めのない話だよ」
「ふーん……まあ別に、何だっていいけど」
弟子はそう言い終わると欠伸をして、眠そうに目をこすった。その様子を見た師は声をかける。
「さて、レオ。夜も更けてきた。俺たちも村へ戻ろう。足元が暗いから気をつけろよ」
フリーはレオが転ばないようにと、手を差し伸べた。
「フリーの手を借りなくても坂を降りられるけど……まあでも、せっかくだから手を借りてやってもいいかな」
そういうと、フリーの手を握り坂を降りようとした。相変わらず素直じゃない言い振りだな、と苦笑する。
坂の中腹からは、村人が祭りの片付けを始め、徐々に篝火が消えているところが見えた。
◇
村に着いた頃にはすっかりと祭りは終わり、村人も団員も眠りについているようだった。この村には宿がないため、空き家を数軒借りて騎士団の寝所を割り当ててもらっていた。この日はレオはブラッドと同室、フリーは別の団員と共同で部屋を使うこととなっていた。
フリーと別れ、レオは自分の家へと入る。空き家ではあるが、村人がこまめに手入れをしていたからか、普通の家と全く遜色がないようだった。ブラッドはすでに就寝しているだろうと思いながらの帰宅だったが、食堂のランプが灯っているのが見えた。どうも、酒を飲んでいるようだ。
「砥げよ砥げ砥げ……」
足を組みグラスをゆらゆらと揺らしながら鼻歌を歌うブラッドは、レオの存在に気づいていないようだった。レオはお構いなしに大きな声でブラッドに呼びかける。
「ブラッド、酒くさいな。飲んだくれと同室なのは嫌だから勘弁してくれよ」
「うわっ、びっくりした……。さっき村長に挨拶に行ったときに飲まされて、会が終わったあと村一番の葡萄酒をもらったんだ」
「だからって酒浸りになってていい言い訳にならないぜ」
ブラッドは聞こえているのか、聞こえていないのか、その言葉を受け流し提案した。
「そうだレオ、せっかくだから二人で一緒に飲まないか?」
「はあ? 二人で飲んだくれるのか?」
「そうだ。明日も村に滞在するから、これくらいはいいだろ。……フリーともさっき一緒に飲んだから、レオとも飲もうかと思ったんだが」
その言葉を聞き、レオは即答した。
「ふん……いいけど、僕は酒強いぞ」
ブラッドは満足げににこりと微笑んだ。
◇
「くそっ、ブラッド、顔はすぐ赤くなるけど上限値がないだろ……!」
レオはスクーレで厄介ごとにはそれなりに遭遇してきており、それを一人で対処してきた人間だ。その中で、酔い潰して悪巧みをしようとする連中にも潰し返すくらいのことをしてきたぐらいには強いが、そのレオをもってしてもブラッドのうわばみ具合は舌を巻くほどであった。
「レオも見た目に惑わされるとはまだまだだな」
珍しく酔いが回っている様子のレオを見て、少し意地悪な笑みを浮かべる。レオは机に突っ伏しながら、顔を右向きにしブラッドに話しかけた。
「なあ、今日はフリーと何の話をしていたんだ?」
「ああ、二人で話す機会が少なくなったから、これからは二人で飲みながらでも話す機会を作ろうって」
レオは突っ伏した態勢から上体を起こし、ブラッドを見た。
「何だよそれ。フリーそんなこと言ってなかったぞ」
ブラッドはふっと吹き出して、柔らかな赤い瞳でレオを見つめ返した。
「レオはフリーのことが気になるんだな」
「気になるとかそんなんじゃなくて、弟子が師匠の動向を気にするのは当然のことだろ」
レオは抗議の念を含めた険しい表情をブラッドに向ける。ブラッドは少し逡巡した後に一つ提案をした。
「そうだ、レオもフリーとゆっくり話す機会を設けたらどうだ?」
「別に、毎日話しているから改めて話すことなんてこれ以上ないだろ」
「わかったよ」
ブラッドは肩をすくめその様子を見ていると、レオはグラスに残っている葡萄酒を一気に飲み干し、グラスを勢いよく机に置いた。
「なあブラッド、あんたたちが何の話をしてるか知らないが、今フリーと一番一緒に過ごしているのは弟子の僕だからな」
「レオ、酔っ払ってるな」
「うるせぇ」
ブラッドは左肘でほおづえをつき、ニコニコと見守っていた。
「眠い……」
レオの酔いが回り切り、気持ちの悪さよりも睡魔が襲う。なんとか寝台まで移動しなければと席を立ち、寝室に行こうとするが場所が分からなかった。ブラッドには見透かされたように言葉をかけられる。
「寝室は部屋を出て左だ。レオ、運んでやろうか?」
「自分で行く!」
元来人の手を借りることが好きではない上に、このタイミングでこの不死の男の力を借りるのは、なんとなく自身の癪に障るので、意固地かも知れないが自分で行くことにした。ブラッドは微笑み挨拶をする。
「おやすみ、レオ。良い夜を」
「……おやすみ!」
部屋を出て左に曲がり、窓の外を見たらやさしい月の光が煌々と降り注いていた。