窓辺の時間


「レオ、襟足、だいぶ伸びてるんじゃないか?」

 昼食後、本部の廊下で呼び止められた第一声がこれだった。この男、珍しく人のことに気づきやがる──不服そうにレオは自身の頸部にある髪を撫でた。自身の後頭部というのは近いようで一番遠い部位で、鏡を向かい合わせに当てなければ見えもしない。確かに、指で触ると首が髪で隠れてしまっている長さまで伸びているようだった。
「本当だ……。そろそろ切らなきゃな」
 そう呟くレオの前で思い立ったようにフリーは提案をした。
「なあ、俺が切ってやろうか?」
「はぁっ⁉︎ フリーが? ……僕はそんな危ない橋は渡らないからな。これでもこだわりが……」
「大丈夫だ、指の器用さなら団の中でもなかなかいいところに行くと思う」
 フリーは手でハサミで切るジェスチャーしながらレオを見つめるが、レオは嫌な予感しかしなかった。
「誰も聞いてないし、根拠がないだろ!」
「そうだな……参考になるかは分からないが、木彫の人形を彫るのは一番うまい」
「僕の髪は木彫なのか⁉︎ いやだ、僕は理髪師のところに行くぞ」
 そう言い放ったあとレオはポケットにしまってあった財布を取り出し、中を開き驚いた表情を見せた。
「どうした?」
「この前壊れたオカリナを新調してお金がない……」
「じゃあ、決まりだな」
 いつもであれば全力で御免被るが、この展開で断るに断れず、また背に腹は変えられない。善意の笑みを浮かべるフリーの顔をげんなりとした表情で見つめたあと、レオは肩を落とした。

   ◇

 先に入っててくれ、と言われたのでレオはそっとフリーの部屋の扉を開けた。入ると、寝台、机や棚などの調度品以外には弓に関する道具しかない、相変わらず殺風景な部屋だった。大きな部屋の窓を見ると燦々と陽光が降り注いでおり、背もたれのない椅子が窓際に置いてあるようだ。レオはそこに掛けたが、なんとなく落ち着かず部屋をきょろきょろと眺めていた。少しの時間が経ち、フリーが戻ってきた。
「待たせた。ハサミや布を団の備品から借りてきたから、すぐに用意する──って、なんだ、椅子に座って準備万全じゃないか」
「うるさいな、人の部屋に入って家探しするわけにもいかないだろ。早く切って終わらせるぞ」
「分かったよ」
 そういうとフリーは入り口近くのテーブルに道具一式を置き、座るレオに後ろからふわりと布をかけ、首元のリボンを結んだ。
 騎士団では、こだわりの髪型があり理髪師に切ってもらいに街へ行くものもいるが、騎士団のスクーレでの厳しい台所事情を鑑み、団員同士で切って済ませることも多かった。
「レオの髪って、今まで誰が切ってたんだ?」
「元々はミレッタに切ってもらってた。退団してからは外に散髪しに行ってたけど……」
「ミレッタか、確かに器用に切ってくれそうだな」
「ああ」
 会話をしながらフリーはレオの髪を櫛でとかす。金糸のような髪がフリーの手からさらさらと滑り落ちる。毛先が首に当たりレオは何となくくすぐったい気分にさせられた。
 フリーは櫛をハサミに持ち替えると、ジャキジャキと音を鳴らす。
「フリー、本当に、本当に大丈夫なんだろうな⁉︎」
「大丈夫だ、その証拠に俺の髪は俺が切ってる」
「そのバンダナがあればどうにでもなる無造作な髪型だろ⁉︎ 全然信用できない!」
 鳴るハサミのその不穏な音に、レオは不安感が増してきた。席にまで座り、布までかけられている。刃物を前に生殺与奪を奪われたレオになす術はなかった。
「いいか、首の部分が一番短く、耳の方は長くなるように斜めに切れよ。僕のこだわりだ!」
「分かった」
 そう短く返事をすると、襟足にハサミが入り髪が切れる音がした。レオは目をつむりそれを受け入れる。髪が布に落ちていくのが分かった。フリーのハサミの音は思っていたよりもリズムが良く手慣れている様子だった。
「レオ、顔に沿った前側の髪も切っていいか」
「前髪は印象が大きく決まるから……慎重に切ってくれ」
「ああ」
 フリーは短く返事をすると、ハサミを斜めに滑らせレオの髪を切り落としていく。手つきは良いが、今どんな姿になっているか分からないことに不安感を拭えなかった。しばしの間沈黙が続き、ハサミの音だけが部屋の中に響く。その静けさを破り、開口したのはフリーの方だった。
「レオ、終わりだ。鏡を渡すから確認してくれ」
 レオはフリーから手鏡を受け取り、自分の顔と髪を映した。前髪は段になっている部分は綺麗に切られており、襟足も顔を横にして部分を移すと、こちらもレオこだわりの角度に切られているようだった。
「なんだ……上手いじゃないか」
「言ったとおりだろう」
「うん、ありがとう……」
 徐々に声を小さくしながらレオは謝意を述べた。
「気にするな」
 そう言いながら、フリーは髪の中に残った切った毛を、手で軽く髪をすいて払っていった。あらかた終わったのち、手で頭を撫でる。
「レオの髪はきらきら光る糸みたいだ。陽にあたって綺麗だな。俺の髪はゴワゴワしてるから」
 レオは大きな手で撫でられる心地よさを感じ、止めろと今日は言わないでおいた。
「別に……僕はフリーの髪も嫌いじゃないけど」
 自身の襟足を触りながらレオは答える。フリーの方に顔を上げ、次の言葉を続けた。
「なあ、これからも切ってもらってもいいか? それと、次からフリーの髪は僕が切る。お返しだ」
 レオの言葉にフリーは鳶色の目を丸くし、少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに微笑みに変わった。
「もちろん。よろしくな」
 窓の外から降り注ぐ陽光のように温かな時間が流れた。

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