外は雷鳴、内は風


――騎士団本部を出発したときから雲行きが怪しいとは思っていたんだ。

 夏の南アクラルの天気は変わりやすい。フリーとレオはスクーレ郊外まで足を伸ばし、団員から依頼された薬草を採取に来ていた。魔術師のミロミラムが遠征用に、より効能の高い傷薬を開発するのだと意気込んでいるためだ。
 レオはスクーレ近郊の薬草の種類については、魔術師ほどではないが地の利もあり知識もある。ミロミラムが研究をしている間に、手の空いている二人で採取することになったのだった。
 スクーレを発ったときは快晴であったが、すぐに暗雲が立ち込め遠くからは雷鳴の音が轟いた。
「すごい雨だな……レオ、そろそろ目的地か?」
 フリーは視界の前を遮るように吹き付ける雨を腕で払いながら呼びかける。ざあざあと雨の降る音も風の吹き荒ぶ音も耳に大きく響く。
「ああ。採取地はこの辺のはずだ。スクーレから西に10kmくらい離れただろ? この辺りに群生地が……くそ、地図を書いたメモが雨で滲んじまった」
 ミロミラムからもらったメモは水分を吸い、左右のメモの端がべったりとくっついている。メモを開こうとするが、髪からつたう雨にも視界を邪魔され、指も滑りなかなか思うように開けなかった。フリーはレオの様子を見、暗い面持ちで語りかけた。
「レオ……俺たちはいまスクーレの東側に来ているんだが」

 ――――は?

「何だよそれ。どういうことだよ」
「俺が聞きたい。いや、俺がレオの方向感覚を信じてどっちに向かうか聞かなかったのも落ち度があるが……」
「くそ、トゲのある言い方しやがって……!」
 瞬間、雷鳴の音が近くで轟き始め、大きな音と共に眩しい光が二人を包んだ。
「近いぞ!! 落ちたらまずい、ひとまずあの山にある洞穴に避難しよう」
 フリーの指差した場所には、ごつごつとした灰色の岩肌の山の側面に洞が見えた。二人は走りそこに向かった。

   ◇

 ぽっかりと空いた洞穴は、入り口はフリーの背の高さほどしかなかったが、入れば天井はそれよりも随分高く、声がよく反響した。とはいえ奥行き自体は深くなく、二人が休憩する分にはちょうど良い広さであった。どのみち奥に広くても夜目が効かないし、もし仮に何か魔物の寝ぐらであっても困る。
「レオ、火打石で火をつけるから、何か乾燥した植物を持ってきてくれ」
「雨の中でそれをいうか? …………わかったよ睨むな、探してくる」
 レオは洞穴の端に転がっていた木を見つけると、フリーに渡した。火を起こした形跡もあり、どうも最近この場所を使った先達がいたようだ。もしかしたら、狩りを生業にする民が定期的に使っている場所なのかもしれない。煙が外に逃げるよう、雨風はしのげるが入り口に近い場所に木を並べると、フリーは荷物にあった火打石をカチカチと鳴らし、火をつけた。
「やれやれ、薬草を取りにきただけなのにえらい目にあったな」
 レオはかじかんだ手を火に当て、呟いた。フリーは伏せ目でレオの方を見やり抗議の念を含む声で反論をする。
「薬草もまだ取れてないしな。元はといえばお前が方向間違えなければもっと簡単に終わったはずなんだが……? それを今言っても仕方がないが……レオ、今度地図の読み方をたっぷり教えてやる」
 レオはばつの悪そうに視線を炎に落とした。地図の読み方、陽光や星から方向を捉える訓練は何度もやっているはずなのだが、レオはこれだけは一向に覚えられなかった。炎に落とした視線をフリーの方向へずらすと、フリーはおもむろに黄土色のシャツと黒いインナーを脱ぎ始めた。
「なんだよいきなり、脱ぐのか?」
「上半身だけでも。水に濡れてたら体温奪われて風邪引くぞ」
 フリーは先ほどまで着ていたシャツを固く絞り水を切った。レオはまじまじとフリーを見つめる。フリーは背の高い分一見細身に見えるが、実のところ体躯は筋肉質であり、弓使いであるためか、特に肩から腕、胸にかけてはしなやかで引き締まった姿が見て取れた。炎に照らされている分、影が深く伸び形のよい筋骨は強調されている。レオは腕を組みそっぽを向き呟いた。
「……僕はいい」
 レオは肌の露出を極度に嫌う。いつも長袖の白いコートにニット、手の指の第二関節近くまで伸びるグローブを着用し、肌を少したりとも見せないように完全防備をしているほどだ。フリーはその様子を見、語調強くレオに言った。
「ダメだ」
「嫌だ」
「なぜ」
「あんたたちと比べると、細すぎてみられたくない」
 レオは呟くようにフリーに言うと、膝と膝をくっつけ、両手で膝をぎゅっと抱きしめ丸くなった。
「レオ、お前気にしていたのか」
「鍛えてもフリーみたいにならないし……」
 レオは騎士団に入った当初、発育が悪く腕も足も細さが際立っていたが、最近は背も伸び、徐々に筋肉が付きはじめていることは服の上からでも分かるくらいにはなった。しかし本人はそれでも体格に引け目を感じるらしい。フリーはそのことに気づいてやれず、軽率な発言をしたかもしれないと反省した。
「そもそも戦い方が違うんだ、俺みたいになんてならなくていいんじゃないか。もし俺を基準にしているんだったら……もう少し気持ちのハードルを下げた方がいい。俺はレオの訓練の様子も努力も知っているつもりだ」
「うん……」
「事情は分かったから無理は言わない」
「風邪ひいたらまた文句言われるだろ、脱ぐ」
 突如考えが切り替わった弟子に師は吹き出した。
「あまのじゃくなやつだな」
 レオはニットと白の外套、その下にある上着やインナーを脱いだ。上半身の肌は透けるように白い。
「そんなに着て暑くないのか……?」
「僕は冷え性なんだ」
 レオの体は確かに細い。足の先から指の先まで何一つ贅肉はなく、あばらもうっすらと浮いている。そしてやはり色素のない白い肌が特に目立つ。日に焼けたフリーの肌とは対照的であった。ただ、騎士団に入って数年、本人が言う以上に背は伸び、体躯もがっしりとしはじめていた。
「そんなに卑下することもないも思うが」
「これは僕の問題なんだ」
 フリーは分かったような分からないような気がしていたが、深追いすると弟子の不興を買うだろう。「分かった」と短く切り話を終わらせた。
 レオはフリーに背中を向け、水を切った服を広げている。フリーはレオの背中に最近できたであろう跡が生々しい赤い傷を見つけた。
「なあレオ、背中の傷、どうした?」
「……! 別にこれは……何でもない」
 レオはフリーと正面に向き合い、背中を隠した。フリーはレオの右腕を取り、上腕にも浅からぬ傷を見つけ瞳を小さく丸めた。
「腕もだ。何でもなくないだろう。それなりに傷は深い。そのままだと膿むぞ」
 レオはフリーと視線を逸らし、少し紅潮した顔で呟いた。
「……この前戦闘のとき防御補助でしくじったんだ……。前列のやつは守れたけど、僕が避けきれなかった」
「何で言わなかったんだ」
「ダサいし悔しいだろ」
 レオは所在なさげに背中を小さく丸める。フリーはレオを険を含めた視線で射抜いていたが、すぐに表情を和らげ、口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「レオ。……レオも誰かを守れるくらい強くなったってことだな。ひとつ、進歩じゃないか」
 レオは思いもよらなかった一言に驚きの念を含めた表情でフリーを見返した。怪我をしたことを叱られるかと思った。言わなかったことを咎められると思った。弱さを見つめられるのが嫌だった。
「ミロミラムからもらった傷薬、試薬品を持っているんだ。塗ってやるから大人しくしてろ」
 フリーの申し出にレオは何も言わず従った。傷薬からはひんやりと、涼やかな香りがする。背中を指でなぞられるのはくすぐったい感覚だった。その跡が熱を帯びているのは、傷の痛みか薬が体温で溶けているからか、自身から発せられる火照りなのかは判断する術がなかった。なんとなく気恥ずかしいような、指の熱に安心するような様々な思いが表出し、心臓の鼓動が大きく跳ねた。
「よし、レオ。終わりだ」
 フリーは荷物の中に入っていた包帯をレオに巻き終わり、肩の部分で縛ってみせた。
「ありがとう……」
 レオはフリーを振り返り、またすぐに背を向けてしまった。
 フリーはレオの、相変わらず子供じみているようで、たまに大人びているようで、眉間にいつも皺を寄せるような不機嫌な顔をしているようで、その実様々な表情を自身の前でくるくると見せる。その事実に思わず口を綻ばせた。このいとおしさにも似た感情は、庇護欲を感じさせるような世話を焼く対象がいるからなのか、それとも別の感情が発露するものなのか、それはフリー自身では判断がつかなかった。
「なあ、レオ。俺はお前と一緒にいると落ち着いて、その存在に少し癒されるような気持ちになるよ」
 レオは思いもよらない一言で、ただでさえ紅潮した表情をさらに朱に染めた。
「いきなり何だよ……恥ずかしいことをさらりと言うな」
「そうか……今思ったことを言ってみたんだが」
「あいにく却下させてもらう」
「レオを気にかけていると、長生きできそうだな」
「何だそれ……。僕はこれからあんたに心配なんかかけないくらいになってやる。まあ、せいぜいそれまでくたばるなよ」
 いつもより饒舌なフリーに、いつもの通りレオは悪態をついた。

 ――全く……僕にとってフリーとのこの距離は近すぎる。心臓に悪い。僕はあんたと違って寿命が縮まりそうだ。レオは自身の心臓の脈動に静まってくれと願をかけた。

あとがきなど

レオのコンプレックスのお話。シチュエーションガチャで、どきどきで寿命が縮まりそうなレオと、癒されて寿命が延びそうなフリーというお題で書いたものです。
close
横書き 縦書き