ヴェール


(女装のお話なので、苦手な方ご注意ください)


「女装⁉︎ ちょっと待て、なんで僕がそんなことをしなければならないんだ」
「これはレオにしか任せられないんだ」
「どういうことだよ‼︎」
 軍議の中、レオの悲痛な叫び声が響き渡った。

   ◇

 事の発端はスクーレの騎士団本部に魔物出現の報が届いたことから始まる。騎士団はウルカ峠の村にネクロマンサーが現れ村を蹂躙している、と逃げ出した村民から話を受けた。ブラッドは直ちに出撃準備をし遠征に向かい、十日ほどの日程で騎士団一行はウルカ峠の村に到着した。到着した村の様子は、家々の火が消え、静まり返った様子であった。ブラッドは村の様子を観察し、おそらくこの村の長なり有力者であろう、大きな家を訪ねた。魔物の討伐に来た旨を伝えると、家から出てきた六十歳くらいの男性は一行を歓迎した。ブラッドの見込んだ通り、村長の家であった。一行は今回派遣された団員七名全員を入れてもなお広い居間に通され、団員達は大きなソファに座り、束の間足を休めた。  村長はまずはブラッドに事情を伝えたいとして別室に通し、ブラッドは説明を受けていたが、それが終わったあとに居間の方へ戻ってきた。
「みんな、待たせてすまない。会議を始める。フリー、作戦用の地図は持ってきているか?」
「ブラッドさん、こちらです」
 フリーは十人ほど掛けられるような大きなテーブルに近隣の地図とチェスのような駒を置いた。ブラッドは駒を手に取り、概要を説明し始めた。
「ありがとう。敵の場所は村の峠の最頂部で、相手はネクロマンサーだ。今回の敵は知性があるというか……村人にある要求をしてきている――村を滅ぼされたくなければ、若い花嫁を寄越せ、だってさ」
「今どき古典的なダサい敵だな」
「ああ……敵は峠の奥に潜伏している。そこで今回の作戦だが、一人囮となって敵を峠の中腹まで陽動をしてもらいたい。敵が峠の奥からおびき寄せられたら、谷の上に控えているアーチャーとヴァルキリーで両翼を挟み込んで頭上から攻撃を仕掛ける。頭上に気を取られているうちに俺と戦士、聖騎士で横から叩いていく。神官は後方で待機してほしい」
 ブラッドは地図の上で駒を置き、今回の配置を伝えた。レオは違和感を覚え、ブラッドにすかさず質問を投げかけた。
「ブラッド待て、冒険者が、僕がいない」
「その件だが、この囮役はレオ……お前に任せたい」
「は? 花嫁の衣装だろ?」
「この花嫁の格好をして敵の陽動を頼む。因みに花嫁の衣装は今軍議をしている家の方から貸し出していただけることになっている」
「ブラッドさん、段取りが早いです」
 フリーの表情は窺い知れなかったが、ブラッドは真剣な面持ちでレオを見つめている。レオは机を両手で叩き、眉間に皺を寄せ承服しかねる表情でブラッドを睨んだ。
「女装⁉︎ ちょっと待て、なんで僕がそんなことをしなければならないんだ」
「これはレオにしか任せられないんだ」
「どういうことだよ‼︎」
 レオの叫び声が広い部屋中に響き渡った。
「近接攻撃ができて自回復を持っている女性団員がいない。今回の囮は危険を伴う。自回復ができない隊員が危険に晒された時にこちらでカバーできないかもしれないだろ。適任は全てをこなせるレオしかいない」
「自回復できるならブラッドだってできるだろ⁉︎」
 ブラッドはレオから視線を外し、組んだ右手を顎元に当て右斜め上に目線を送った。
「それは……俺は全体に指示をしなければいけないから……」
「その逃げ方ずるいぞ‼︎」
「レオ、ブラッドさんの決定事項だぞ……くっ」
「フリー笑ってるだろ‼︎」
「問題ない、私たちが着付けるし化粧も施す」
「やめろエリエル、着付けるな」
「仲間に見られるのは嫌だろうから、そこは配慮してとりあえず村長の奥さんがレオを着付けてくれることになっている」
「くそっ、外堀埋めやがって……」
「レオ、申し訳ないが今回の作戦を飲んでくれ。直接叩きにいくと敵に警戒されるし、他に妙案がないんだ」
「厄日だ……」
 ブラッドへ代案が出せるわけでもない。レオは、要求に折れた。

   ◇

 ウルカ峠はリーヴェ修道院の東、キーディス山脈の端に連なる山道へと繋がっている。村人の資源の採取用なのか、峠道を往来することがあるようで、人の通る道は簡易ではあるが整備されていた。道の横部の足元や壁状になっている部分は、ごつごつした岩場が広がる。季節は秋口のため、樹木より葉が落ち、足元には枯葉が広がり踏み締めるとざくざくとした音を立てる。これから戦闘が行われる観点から鑑みるに、樹木に身を隠せないことと足元から音が出るのは、作戦を遂行するにあたり不利に働く要素であった。枯葉の上にはうっすらと雪が積もっている箇所があり、朝吐く息は白かった。
 レオは花嫁衣装に着替えていた。王侯貴族ではなく、農民の花嫁衣装のため、絹の絢爛豪華なドレスというよりは、綿を主体に固く編み込まれた生地でできているワンピースのような素朴なドレスだった。首元が四角く開いた木綿の白いワンピースの上に、ひも巻きの赤いコルセットを着用している。服の袖口はパフ状に広がり、レースで飾られている。胸元は下着の白いワンピースが見え、その上から赤いワンピースを重ね着し、胸元の下部は紐で締められ、胸元の上部の膨らみが強調されるようなデザインになっていた。無論、レオは胸がないので、詰め物がしてあるが。膝上にリボンがついているニットの靴下の上に、華奢な皮のブーツを履いていた。首元や耳元には金属や玉からできた装飾品を着け、金属が当たる音が鳴る。頭からは赤い細かい刺繍の入った肩までの長さの綿のヴェールをかけ、表情は窺いしれない。
 レオは峠の中腹まで歩いてきた。ネクロマンサーと村人が花嫁を引き渡す約束をした場所はこの辺りか。時刻も概ね間違い無いだろう。ブラッド達は五十メートルほど離れた先の道側面の岩場に身を潜め、切り立った岩場の上には右翼にヴァルキリーのカロリーナ、左翼にはフリーが待機している。準備は整った。
 くそっ、やるしかないのか……内心気乗りはしないが、ここまで整えてきたのだからやるしかない。レオは腹を括り、普段の澄んだ声を一層高くし、魔物に語りかけた。
「わたくしウルカ峠の村の者でございます……お約束の話の件で参りました……お目にかかれますでしょうか」
 瞬間、空間が歪み黒い煙を立てながら、その空間の穴からネクロマンサーが出現した。レオを一瞥するとほくそ笑んだ。
 ネクロマンサーは空間の歪みからレオに手を差し伸べる。これは、手を取ったらそのまま引きずり込まれるんじゃないか、レオは警戒し差し伸べられた手を握り返すか逡巡した。しかし自分にはこの手を差し出すしか道はない――作戦が開始されるのを願うのみだ……。覚悟を決めようとしたその時、頭上から矢の雨がネクロマンサーに向かって放たれた。フリーもカロリーナもベテランの弓使いだ。レオに矢が刺さらないよう、ネクロマンサーだけを効果的に狙い撃ちをする。
「レオ! 大丈夫か‼︎」
 フリーは攻撃の手は緩めず、大声で叫ぶ。ネクロマンサーは空間を閉じ、空間から見えていた人ほどの大きさの姿を巨体に変え、怒りを露わにしフリーに向かって叫んだ。
「図ったな‼︎」
 ネクロマンサーは呪文を詠唱すると、火球をフリーに向けて放った。すんでのところで避け、火球はフリーの頬を掠めた。
「よし、未だ! ルグリム、エリエル、進め‼︎」
 左右の岩陰からブラッド達が飛び出し双方からネクロマンサーの側面に攻撃を仕掛け、その剣先は魔物の左右を串刺しにするようにつき刺さった。
 ネクロマンサーは苦痛で顔を歪める。その瞬間呪文を詠唱し、レオを片手で抱えるとブラッド達に向き合った。
「とりあえずこいつと共に退却する。村人には余計な真似をするなと伝えておけ」
 そう言って消えようとしたその時、ネクロマンサーの脳天が矢によって貫かれた。いつの間にか岩場から降り、敵の背後に回りこんでいたフリーの攻撃だった。ネクロマンサーは断末魔をあげ、消えた。

「レオ、大丈夫か?」
 フリーはレオに駆け寄り、ネクロマンサーの手から落ちたレオの体を起こした。
「大丈夫だが、生きた心地はしなかったな」
 レオは打ち身をしているようで起き上がるのに難儀した。
「手を貸せ、起こしてやろう」
 この手は先ほどの手と違って安心して取ってもいい手だな、レオは安堵の表情を浮かべたかったが、悟られないようにため息をついた。
「こき使われたから礼は言わないぞ」
 フリーはレオの手を引っ張り体を起こした。レオは服についた土埃を払う。
 ブラッドもレオに駆け寄り、ねぎらいの言葉をかけた。
「レオ、お疲れ様。今回の作戦では苦労をかけたな。村まで戻るから、もう少し辛抱して進んでくれ」
「……ブラッドさん、俺レオを背負っていきます。打ち身も気になりますから、俺が部屋まで運んでいきます」
「僕は歩けるぞ」
「無理するなよ、体痛いだろうから、たまには素直に言うことを聞け」
 レオは憮然とした様子で承服した。
 フリーはレオを背負うと、山道を降りていった。バラの香水の香りがふんわりとする。いつもと様子が違う弟子にフリーは内心どぎまぎしていたが、気取られまいと平静を装った。レオはぎゅっと強くフリーの肩を後ろから抱きしめると、よほど疲れていたのか、フリーの背中でそのまま眠ってしまった。

   ◇

 レオは目が覚めたら目の前に立派な天蓋があった。先ほどの峠道と随分と見える風景が違い、慌ててベッドから飛び起きる。
「うわっ……! 痛っ」
 そういえば自分は体のあちらこちらに打撲があるのを忘れていた。痛みに顔を顰める。
「ようやく起きたか。着替えさせたかったが、とりあえずそのままレオを寝かせた。今ブラッドさん達は村長達に報告をしているから、しばらくゆっくりする時間はある。もう少し寝ればいいんじゃないか」
 ベッドの横にはフリーが椅子に座って様子を見ていた。見守ってくれていたようだ。
 そのままの格好ということは、自分は化粧をして花嫁衣装を着ているんじゃないか……自分の着衣を見るとそのままだった。自分の姿にため息が出る。フリーはその様子をじっと見つめていた。レオはそれに気づくと、枕元に置いてあった綿のヴェールで顔を隠す。
「じろじろ見るなよ、何か言いたいことでもあるのか? この格好を笑いたければ笑え」
「笑うところがないだろ」
 フリーはレオに近づくと、レオにかかったレースのヴェールをめくった。
 ヴェールの下のレオの顔を見ると、金色の長い睫毛が目元に影を落とし、薄く虹彩まで見えるような碧色の瞳を揺らめかせていた。化粧を施され、薄く頬紅と唇に紅を差している。フリーは弟子の顔を端正な顔立ちと、赤みを帯びた顔をじっと見つめた。
「なんだよ」
「あ……いや、改めて見ると綺麗だなって」
 レオはその言葉を聞いて俯き、耳まで赤くして答えた。
「何だよその感想……ダサい」
「確かに……俺は何言ってるんだろうな」
 フリーは右手で口を塞ぐような仕草をし、自分の顔の紅潮を悟られまいと隠した。話題を変えるように、フリーは言葉を継いだ。
「ところで、レオ。その服苦しいんじゃないか」
「当たり前だろ。なんで女はこんな苦しい服着れるんだよ……」
「その服、一人で脱げるのか」
「着せてもらったの見てたから、なんとか脱ぐ」
 胸元の紐をするりとほどき始めた。
「背中の紐取るの手伝ってやろう……レオ、これはどう脱がすんだ」
 フリーは背中の紐と紐の間に指を通して引っ張った。
「やめろその紐を締めるな、苦しい」
「悪い! ……女性物の服は難しいな」
 フリーは慌てて手を離した。レオはいたずらをするような目線でフリーを見る。
「フリー、慣れてないのか?」
「……慣れてるわけないだろ」
 フリーは意図しない質問に若干の苛立ちを感じたが、平静な表情を変えずにレオに返した。
「ふうん、まあ別にどうだっていいけど……。とりあえず、紐で全身縛られているみたいな苦しさだから、脱がすの手伝ってくれ」
 フリーは「分かった」と短く返事をすると、天蓋付きのベットのレオの横に腰掛け、背中の紐を一つの穴ずつ解いていった。弟子の薄い背中がみえると、なんだか自分のやっていることが気恥ずかしく思えた。
「なんか恥ずかしくなってくる」
「……フリーが恥ずかしいと思うなら僕も恥ずかしくなるだろ。普通にやれよ」
「ああ……」
 二人とも沈黙しながらただひたすら服を縛っている紐をほどき続けた。

   ◇

 魔物も討伐し平和になったウルカ峠の村では、簡単な祝祭が行われた。三日ほど滞在し英気を養い、レオの体の痛みも和らいだ。スクーレに帰る日になり、旅立ちの挨拶に村人に手を振られながら、一行は村を出発した。
「ところで、レオとっても綺麗だったわね。またやらないかしら?」
 カロリーナはくすくすと笑った。
「二度とやらない‼︎ 僕にそんな趣味はないからな‼︎」
 村長宅の居間で出したのと同じ声量で叫び、全力で否定した。

あとがきなど
リクエストいただき書いたお話です。大変癖強めなお話になりました……!
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