笑顔


 スクーレの街は夕刻になった。時計台は橙色の夕日に照らされ、建物の横には黒い影が伸びていた。街には母の手に連れられて家に帰る子供、食料品の露店は店じまいのためテントを片付けていた。
 レオは食料品の買い出しが終わり、木細工を扱う露店を眺めていた。長い髪を梳くための細かな彫り物がされた櫛、素朴な木のスプーンなど、装飾品や日用品まであらゆる木製品が揃っている。興味深く眺めていると、背後から聞き慣れた声がした。
「買い出しは終わったか?」
「うわっ、びっくりした……。フリーか。買い出しはさっき終わった。干し肉と水、量が多いから本部まで届けてもらうことにした」
「分かった。じゃあ、受け取りもあるし、すでに夕刻だ。少し早めに帰ろう」
 フリーはレオに帰るように促し踵を返したが、レオは名残惜しそうに木細工から目を離さなかった。
「レオ、何を見ているんだ? ……コップ?」
「べべ、別に、何でもない!」
 フリーはレオの視線の先を見た。コップには細かな木細工が施されていた。
「ああ、この文様はティゴル谷のものだ」
 フリーはレオからコップを受け取ると、コップをくるりと回転させながら懐かしそうに目を細め文様を見つめた。
「へぇ、フリーもこれが彫れるのか?」
「木細工のものはティゴルの名産の一つだからな。流石に細かい細工はできないが、少しなら。でも最近は遠征が多くて、作っている時間がないけどな」
 レオが少し遠慮がちに提案をした。
「なあ、フリー、これ買わないか…?」
「買うのは構わないが……しかし、綺麗だけど食堂で使うんだろう? コップはたくさんあるし、この細工のものを人数分用意するのは費用がかかる。騎士団の台所事情を考えると……」
 レオは内心反論した。言葉が喉まで出かかったが、何とか飲み込んだ。
 違う、僕が言いたいのは――あんたと繋がりがあるものを持ってないから、一緒のものが欲しい。しかもフリーの郷里であるティゴル谷のものなら、なおさら。
 しかしそれを言葉にするのは、幼い主張であるような、わがままなような、そんな気持ちにさせられたのだった。  ――お揃いのものが欲しいだなんて、恥ずかしくって言えるか。
 しかし直裁的には言えないものの、何とか買う流れに仕向けたい。レオは言葉を続けた。
「食堂じゃなくて、部屋の中で使うとか……」
「レオが使うのか? でもこの前壊れて新調したばかりじゃないか?」
 フリーは顎に手を当て、首をひねりながら答えた。
「フリーのは壊れてたり不足したりしてないのか」
「壊れてもいないし、俺は一つのものずっと使うから、新しいものを欲しいと思ったことがあまりないんだ」
 ――なんで二つ買う選択肢がないんだよ。レオは内心苛立ちを覚えたが、これ以上問答をしても平行線だろうと察し、心を落ち着けた。
「そうか……分かった、なんでもない」
 フリーはレオの、消沈したような、がっかりしたような様子で顔を曇らせたのを不思議そうに眺めた。

   ◇

 露天を見たあと、すぐに騎士団本部に戻った。戻って間もなく、馴染みの道具屋から樽水と干し肉を無事に受け取ることができた。遠征用の物品を最後に確認していたところ、サムライのムロビが傷薬を買い忘れたので、フリーが薬屋に受け取りに行くこととなった。再びスクーレの街に繰り出す。傾いた夕日は地平線の下に沈んでおり、空は墨色から彩度の低い水色にグラデーションがかかっている。ランプがなくても、まだ顔が見えるくらいの明るさであった。
 薬屋で無事に目的のものを受け取り、広場を通り過ぎると、先ほどの木工商が露天の店じまいをするところであった。先ほどのレオの顔の翳りを思い出し、再度ティゴル谷のコップを見ようと店主に声をかけた。
「すみません、そろそろ店じまいですか」
「ああ、日が暮れたし、そろそろ閉めようと思っているよ。何か買い忘れたものがあるかね」
「先ほどのティゴル谷の細工が入ったコップを見たいんですが……」
ああ、と店主はすぐに片付けた品の中から取り出して、フリーに渡した。
 コップには、フリーの身につけているバンダナと似たような幾何学的な菱形と、抽象化した花のような細工が施されていた。フリーからすれば見慣れたティゴルの文様のよくあるコップにしか見えないが、露天を去る際のレオのがっかりしたような表情を思い出し、思案した。
――確かに綺麗だが、そんなにこれが欲しいのか……?
 そう考えあぐねていると、店主が声をかけてきた。
「お客さん、これはペアカップだから揃いの柄があるんだ。誰か大事な人とお揃いでどうだい」
 店主がもう一つのコップを差し出した。コップをまじまじと眺めながら、買っていったら喜ぶかな、と大事な人の顔が思い浮かんだ。

   ◇

 食堂で夕飯を取ったあとは団員の自由時間であった。食堂ではそのまま酒を飲むもの、チェスに勤しむもの、部屋に戻り自室で悠々と過ごす者など、過ごし方は様々であった。
 フリーは食堂横の階段を上り、上階にあるレオの部屋の扉をノックした。
「レオ、俺だ」
 声を確認すると、扉がゆっくりと開いた。
「……フリーか。中に入ってもいいぞ」
 心なしかレオの顔がむくれているように見えた。レオの居室に入って、部屋の隅にあるテーブルの椅子に着席した。机にはフリーの持ってきた麻の袋が見える。
「お前に渡したいものがあって」
 フリーが袋から取り出したのは、先ほど買った、ティゴル谷の文様が入ったコップであった。レオは驚きを含んだ瞳でフリーを見つめた。
「僕に、くれるのか……? 何だ、フリーのくせに気が利くな」
「おいレオ、一言余計だ。……欲しそうだったから、買っていったら喜ぶかなって思って……」
「なあ、フリーも同じコップ、持ってるのか?」
「さっき買った」
 フリーは袋の中からもう一つのコップを取り出した。
 レオは驚きで開いた目を丸くし変化させ、慌てた様子で答えた。
「えっと、あのさ……僕たち一緒にいるけど、一緒のもの持ってないことに気づいて……ずっと二人でお揃いのものが欲しかったんだ」
「夕方に言えばよかったんじゃないか……? 別に言えない仲じゃないだろ」
 その言葉を聞いてレオは顔を朱に染め、俯いた。
「自分から言うのなんて恥ずかしいだろう」
 その複雑な感覚がフリーには分からなかったが、レオの言いたかったことに気づけたこと、コップをいとおしそうに眺める様子を見て安堵した。フリーはレオの頭に手を乗せ、金の髪を撫でた。レオは一瞬驚いたが、頭を触られてるので動かず、上目遣いでフリーを見た。
「あのさ」
「なんだ?」
「……ありがとう」
 素直なレオの様子を見て思わず笑みがこぼれる。フリーは一言、こう返した。
「どういたしまして」
 弟子は、ほころんだ顔に満面の笑みを浮かべた。

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