シンクロニシティ



 「お客さん、お目が高い!」
「はあ、それはどうも」
 スクーレという街は何となく苦手だ。フリーは、スクーレの露天の買い物の際に必要な、価格交渉のややこしさに面食らっていた。
 バルクウェイも市は立ったがせいぜい月一回、大きなものは千年祭や祝福の日に皆で大過なく過ごせたことに感謝をするときくらいだった。値段の交渉ということをしなくても必要な物品は良心的な価格で買えるし、ティゴル谷に至っては物々交換で日々の暮らしに必要なものは手に入る。
 次の遠征に必要な、応急処置用の軟膏や止血用の布が欲しいだけであった。この街に慣れたレオを連れてこようと声をかけたが、
「フリーの買い物に付き合うのは僕の仕事じゃない」
 と発せられた一言に納得して二の句が継げなかった。
 こうした経緯で、今露天で軟膏を買うために必要な交渉をしている、わけだが。
「お客さん、見る目があるから、この軟膏よりうんといいものをご提供しますよ! 火傷にも効くし、防菌効果、肌の代謝を促すから傷の治りも早い! どうだい? 見たいだろ」
 露店の店主は芝居かかった手の動きと口調で、話す速度に緩急をつけながらフリーに迫ってきた。
 確かに、店主の言うとおり軟膏の質は良い方がいい。ゴーレム山賊団時代の先輩はいつも軟膏を持ち歩いていて、その処置のおかげか化膿するまで傷が酷くなったことはなかった。
「そうですか……では、ぜひ見せてくださ」
 店主に声をかけようとしたそのとき、自身の肩の高さから澄んだ声がした。
「おい! フリー、何やってんだよ!」
 眉間に皺を寄せて、少々の怒気を含んだ少年の声が響く。レオだった。
「レオ。店主がよく効く軟膏を見せてくれるっていうから」
 レオは大きなため息をつき、あきれたようにフリーを見やった。
「馬鹿、この露天商はふっかけだよ。おおかた同じような物を高く売りつける気だろ。大体軟膏の効能なんて一目見たって分かりっこないだろ」
 店主は目の前で繰り広げられたやり取りの始終を聞き、怒りで顔が赤く変わった。
「なんだこの坊主、言いがかりか!! 行った行った!」
「ダサいやつだな、言われなくたっていなくなってやるよ」
 怒声を発する店主を背に、フリーはレオと足早に露天から離れた。

   ◇

「フリー、分かりやすいぼったくりに騙されるなよな……。あとこういう大事なものは露天で買うなよ」
「露天で買えば節約になると思ったんだが……勉強になった」
 レオは先ほどから眉間に皺を寄せっぱなしでフリーをぎろりと見つめる。フリーはお構いもせず、素朴な疑問をレオにぶつけた。
「そもそも、レオはなんでここにいるんだ? 買い物断っただろ」
 レオは視線を左横に逸らし呟く。
「……僕が買いたいものがあったからだ」
「そうか」
 レオの買いたいものはなんだろうか。いちいち詮索すれば眉間の皺がより刻まれるに違いない。それ以上の追求はやめた。レオは視線をフリーに戻した。
「そういえば、買い出しした荷物、包帯とか布はどうしたんだ?」
 そうだ、軟膏の前に止血用の布を紙袋に包んでもらっていたんだった。フリーは自身の手元を思い出し袋を開けた……つもりだったが。
「ああ、ここにある。……ない」
 いつの間にか紙袋が手元からなくなっていたことに気が付かなかった。レオの表情はますます訝しがるような表情に変化した。
「……心当たりはあるのか?」
「そうだな、特別なことは何もないが……そうだ、薬を買う前に壮年の女性に話しかけられたな。ティゴル谷から来たのかって聞かれて、そうだって返したら話が盛り上がったんだ。そうしたらどうも困っていて、建物の細い隙間に入ったものを取って欲しいって言われて……」
 レオは再び大きなため息をついた。
「はあ、ああいうのは二人一組でグルになってて、フリーがその女の落とし物を取ってる間に、置いた荷物を奪うんだよ」
「ティゴル谷の話はなんで分かったんだ……?」
「それはフリーの背が高くて、弓使いだって風貌から分かるからだろ。この辺りでアーチャーが多いところって言えばティゴル谷だって相場が決まってる。おおかた、当てずっぽうで言ったんだろう。もし違っても、そこから出身地を聞くとか、話を繋げて油断させることなんていくらでもできるからな、騙されるなよ」
 フリー自身としては、困っている人を放っておける性分ではなかった。しかし善意を悪意で返すこの街の流儀を知り、今後それすらも躊躇しなければならないのかと思うと気持ちが曇る。ただ、自身の行動を反省したとしても騎士団の大事な路銀を使って買った物品は戻ってくるわけではない。申し訳なさが先に立った。
「すまなかった……」
 レオはフリーの表情を一瞥すると、視線を逸らした。
「まあ……別に、僕のお金じゃないし。何より高い荷物じゃなくてよかったな。相手も中を見てがっかりしてるだろう。フリー、今度こそ別行動だからな! 僕は行く」
「分かった。ありがとうレオ。また後でな」

   ◇

 結局軟膏を買いそびれたので、今度はきちんと薬屋で買うことにして、別れる前にレオに店を紹介してもらった。店の場所は十三番路地の道を曲がった一角、とのことだったので、北二番堤防橋を渡り、目的の場所まで辿り着いた。しかし、日の光がぼんやりと差すだけの薄暗い路地から伸びる道の分岐が多く、ぱっと見た限りでは店の位置を把握できそうになかった。
 橋を背にし、人の気配がする右手側三本目の道を入った。人の多いところであれば、分からなくても最悪道を聞けるはずだ。
 細い道を100mほど進めば、開けた場所に出た。広いは広いが、先ほど歩いてきた路地よりも一段と深い闇もまた、広がっていた。道には独特な甘い煙のような匂いがする。人が道に横たわり、女性がところどころに立っているが、みな人を品定めするようなぎらついた目つきで視線を送っている。
 ――なんだか入ってはいけないところに入っているんじゃないか…?
 手元のパイプで煙をくゆらせている男が怪訝そうな顔で近づいてきた。
「おお、兄さん、見ない顔だな。用件は?」
 ――完全に入る道を間違えた。とても「薬屋はどこですか?」なんて聞ける雰囲気じゃない。軟膏ではない別の薬が出てきそうだ。魔女の妙薬かな。色々考えたが、どう言葉を続けばいいのか、どの単語を選ぶかぐるぐると逡巡した。回転した頭から熱が出そうになっていたら、背後から声が聞こえた。
「おーいフリー! 何やってるんだ……。ここは裏街だ、引き返せ! ……走るぞ」
 レオはフリーの腕を掴み、来た道を走って引き返した。

   ◇

「僕はあんたのお目付け役か!? スクーレに来てしばらく経つんだから、慣れてくれ……!!」
 レオは肩から息をし、ところどころ言葉を切らしながら叫んだ。十三番路地から一心に走って、時計塔の麓まで到達した。この辺りはスクーレの街の人たちはもちろん、闇ギルドの人間さえも気味悪がって足を運ばないため、二人が逃げてくるには格好の場所であった。
「すまなかった……今日はお前に頼りっぱなしだな」
 フリーは息も切らさず平静さを保っているが、内心は申し訳なさでいっぱいだった。レオは膝に手を置き俯いていたが、息を整え、顔を上げ言い放った。
「別に! 僕にはなんてこともない。気をつけろよ」
 フリーは小言の一つでも言われるのを覚悟していたが、弟子の放った言葉はこちらを気遣うような、意外なものであった。出会ったばかりの頃であれば、鼻にかけた笑いで一笑に付されていたことであろう。いつもは端正さの中にあどけなさを残した弟子の表情が、心なしか頼もしく精悍な顔つきに見えた。その双眸はスクーレの闇を色々と見てきたのだろうか。世慣れた仕草に、牧歌的な人間と光に囲まれて生きてきた自分とは対照的な生き方をしてきたのかもしれないなと思いを巡らせた。
「いつも戦闘の時は俺がフォローしてるが、今日はそれ以上にフォローされっぱなしだったな」
「本当だよ、感謝しろよ……今日は疲れた」
 レオはうんざりとした声で言い放ったが、その口元には声の調子とは裏腹な笑みをたたえていた。フリーはレオの様子を微笑ましく見ていたが、ふと疑問に思ったことを訊ねた。
「あとレオ、なんで俺がいるところがいつもわかるんだ?」
 レオはフリーをあきれたような、怒っているような、どちらにも取れるような表情を浮かべた後にギロリと睨みつける。
「あんたが馬鹿でかくて目立つからだろ! 別に追ってるわけじゃないからな。それに、この街はいろいろあるからあんたから目が離せないだろ!?」
「言っていることが矛盾してないか……?」
「うるさいな」
 レオはそっぽを向くと、フリーの片腕をぐいと掴んで前に進んでいった。
「今日は疲れた! 騎士団本部に早く帰るぞ」
 弟子はフリーを一瞥した。垣間見えたその横顔は、いつもの年相応の照れた顔であった。フリーはその様子を見て、ほっとしたような柔らかな笑みを浮かべた。
「なあレオ、手」
「手?」
「腕引いてたんじゃ疲れるだろ。手を繋ぐか?」
「なんだよ、それは先導してるこっちの台詞だろう!? くそっ、子供じゃないんだからな。別にまあ、いいけど。離すなよ!」
 レオは一瞬立ち止まり、フリーの手を見て少し乱雑に握ると、すぐに正面を見やってまた前進し始めた。正面を見て目を逸らさないのは弟子の照れ隠しだ。
 普段は口が悪くて斜に構えているものの案外世話焼きなところ、小言は言うが人を放って置けないところ、いざというとき頼りになるところ、いろんな弟子の一面を知れてよかった。そのままフリーは静かに手を引かれて歩いていたが、沈黙に耐えられなくなったのか、レオの方が口を開いた。
「いいかフリー、街には歩き方があるんだからな」
 そっぽを向きながらフリーに話しかける。その様子にどうしたって笑みがこぼれる。
「そうだな、これからスクーレの歩き方をレオに教わらないといけないな。……そうだ、お前がティゴル谷に来ることがあれば、森の歩き方を教えてやろう。多分迷わなくなる」
 師匠の体面を保つための、小さな意趣返しを含めて言葉を返した。
「くそっ、痛いところつきやがって……!」
 手を繋いだままの二人の影が夕闇の街に伸びる。フリーは影を見ながら、自分より狭いレオの歩幅に合わせて、ゆっくりと歩みを合わせた。歩調に呼応するように、刻を告げるシルの塔の鐘が鳴り響いた。

あとがきなど
ひたすらぼったくられるフリーになりました。自分的に結構気に入っているお話です。
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