秘密 互いちがいの時間

秘密


「フリー、あのさ」
「なんだ? レオ」
 フリーの鳶色の双眸が弟子を捉える。レオの顔はいつもより神妙な面持ちに見え、弟子の悩み事相談かもしれない、心して聞かねば、と次に来るであろう言葉に耳を研ぎ澄ませていた。大丈夫、手元には酒もあるしうまい飯だってある。相談の声も酒場内の喧騒にかき消されるだろう。そう心の準備をしたそのとき、自分をじっと見つめる美しい澄んだ水色の瞳をもつ弟子は言い放った。
「フリーって髭似合わないよな」
「……!」
 思いがけない言葉に一瞬たじろぐ。
「これは……何年か前に新しい団員に何度も新入りだと勘違いされて」
 ゴーレム山賊団では周りが年上ばかりで、自分は弟のような存在であった。入団初期の頃はそれでなんら問題はなかったが、自分も年次が上がっていくにつれ新規加入の団員から同時期の入団者だと勘違いされて不必要な親近感をもたれたり、指導をする際に色々と不都合なことが生じたため、幼く見られがちな自分の容姿を気にしてのことだった。
「貫禄を出すためにか」
「……そうだ」
 レオは右口角を引き上げ、笑みを浮かべる。
「ふん、ダサいな」
 弟子の口癖はいつもは受け流しているが、自分の弱みを指摘されると幾ばくかの気恥ずかしさを覚える。自分の尖った耳先を触ると火照って体温が上がっているのを感じた。
「ブラッドも知ってるのか?」
「ブラッドさんから指摘されたことはない。……ブラッドさんは、変化に鈍感だから」
「まあじいさんだからな」
「ブラッドさんになんてこというんだ! 口の悪さを直」
「やだ」
 レオはフリーが最後まで言葉を発する声に重ねて拒否の意思を示した。目にはこんな面白いことを逃してなるものかと言わんばかりの好奇の光を浮かべている。
「じゃあこの話は僕しか知らないんだな」
「もう古い団員はみんな退団したしな……」
「じゃあその話、僕が大事にしまっておいてやるよ。ツケは高いけどな」
「今日言いたかったことはそれだけか?」
「それだけだ。……そうだ、今日は口止め料としてフリーの奢りだからな。僕は眠くなってきたから帰る」
 レオ! と呼ぶ声を背中に、ごちそうさま、と一言残し体重を感じさせない軽やかな足取りで酒場を後にした。

  ◇

 レオは酒場のドアを開け、顔をあげて夜空を見た。外は、春。風速はやや強めだが心地のいい夜風が吹く。夜の月は街を煌々と照らし、雲間には月の光が照り返し、雲の流れが速い分、光の波長が変化し美しかった。白い外套をたなびかせながら軽い足取りで騎士団本部に向かう。
 ふん、僕しか知らない話か。自然と笑みが溢れる。レオにとってフリーはいつも完璧であった。そんな男が自身に弱みを見せたその事実が、頑なな心を少し解きほぐせたようで嬉しさが込み上げてくる。
 ――絶対誰かに話してなんかやらないからな
 僕だけが知っていることであってほしい、そんな小さな独占欲にも似た感情がレオを包んでいた。


互いちがいの時間



 新緑が眩しく、穏やかな風が頬を撫でる。青々とした木々の匂いが立ち込め、初夏の気配を十二分に感じるような心地の陽気であった。  フリーとレオはゴルドア平原へ向かっていた。スクーレの街の入り口、正面0番水路を渡る橋に差し掛かったそのとき、ガラガラと大きな音をたてて進む木の台車が目に止まった。大きな台車の中は旅のための最低限の荷しか入っておらず、空間には隙間が目立つ。これを引くのはどんな人たちなのかとフリーは視線を上げると、戦士、神官、騎士の三人組のパーティであった。どうにも見慣れた顔であった気がしたが誰だろうか、と顔を上げまじまじと見つめていたら、向こうから声をかけてきた。
「おい、お前。騎士団のフリーだろ? そのツンツン髪と背、忘れたくても忘れはしねえぜ」
 戦士は因縁をつけてくるグルボム団のような口ぶりではあるが、声は好意的な響きであった。改めて正面から相手の顔を見やると、フリーの中で懐かしさともに顔と名前の記憶が鮮明によみがえってきた。
「ん? ……あっ、もしかして……グリムか?」
 台車を引くグリムはにかっと人懐っこそうな笑顔をフリーに向けた。
「そうだよ、俺たちの顔、忘れちまったんじゃないか思ったぜ」
 フリーは目元を笑みを含んだ形に変え、警戒を解いた柔らかな声で話した。
「ああ、久しぶりだな、グリム、マリシア、ライ、元気だったか?」
「おかげさまでな。しっかしフリー、お前も小僧だったのにすっかり立派になっちまって」
 再会の喜びと懐かしさがフリーを包む。その空気をレオが不機嫌そうな声で遮断した。
「おいフリー、誰だよ」
「初対面の人に失礼だろ。戦士のグリム、神官のマリシア、騎士のライだ。俺がバルクウェイにいた時代の山賊団の団員で、一緒に戦ってきた仲間だ」
 レオは三人を一瞥すると、視線を斜めに背け、水路の水の流れを見つめた。
「ふーん、別に興味ないけど」
「聞いておいて何だよ」
「おいフリー、その生意気な坊主は誰なんだ?」
 グリムは気を悪くした様子はなく尋ねた。
「こいつは冒険者のレオ。俺の弟子だ」
「弟子⁉︎ フリーが⁉︎ お前が師匠だって⁉︎ くく、俺たちからすりゃ笑えるな‼︎」
「そんなに馬鹿笑いするのはやめてくれ、改めて言われると何となく気恥ずかしい」
 フリーの顔が赤く染まる。グリムは笑いで目に浮かんだ涙を人差し指で拭いた。
「いや、いいことだぜ。そういえばフリー、ブラッド団長はいるのか?」
「団長は今日から二日間留守だ。俺たちも詳しく聞いていないが、火急の件らしい」
「どうせそこらへんほっつき歩いてるだけだろ」
「おいレオ、ブラッドさんに何てことをいうんだ」
 フリーはレオをたしなめたあと、再びバルクウェイからはるばる来た元団員たちを見た。
「何日間か滞在するんだろう? 折角ならみんなぜひ団長に会って……」
「悪いなフリー、俺たちは復興のための建築図面をスクーレの職人に頼んでいて、工期があるからすぐにバルクウェイに戻らなきゃいけないんだ。少しばかりの資材もこれから台車に積んでいくしな。明日の昼前にはスクーレを発つから、団長には会えないな」
「そうか、残念だな……」
 フリーは元団員たちの回答に肩を落とした様子を見せたが、すぐに何かを思いついたかのように顔を上げた。
「そうだ、もし夜が空いていたら、せめて俺たちだけでも再会の記念に歓迎会をしよう。レオ、お前もついてこい」
「はあ⁉︎  なんで知らない人たちの歓迎会なんてしないといけな……」
 レオは眉間に皺を寄せ、とんだとばっちりだと言わんばかりの表情をフリーに向けた。フリーは一向に背をむけ、声の大きさを落としてレオに言い聞かせた。
「レオ、この人たちは強いぞ。話を聞けば参考になる。俺も先輩たちには山賊団のとき何度も助けてもらった。」
「まあ、そういう話が聞けるのは、悪くないけど……」
 強くなる秘訣がそこにあるのかもしれない。その話が聞けるのは悪くないだろう。しかし同時に面倒だなという気持ちも同居していた。しかしフリーはお構いなしにレオに笑顔を向けた。
「酒場はお前の好きな『笑う赤竜亭』にしよう」
 レオは観念した。
「ちっ、分かったよ、行けばいいんだろう。……魚料理は食べ飽きたから勘弁してくれよな」

   ◇

 夜。結局押し負けて酒場まで来た。
 レオは極めて機嫌が悪かった。早く帰りたい。そもそも知らない人の思い出話だなんて大して面白くもない。そう心の中で愚痴を呟く。  フリーとバルクウェイから来た三人組は、積もる話で盛り上がっていた。五人が掛けた大きなテーブルの上にある料理はすっかりきれいに皆の胃に収まり、酒も次々と空いていく。フリーはレオが会話に入れるように、随所でレオに話を振ったりはしていたが、レオ自身がそっぽを向き会話を拒んでいた。グリムはレオを意に介さず話を続けた。
「しっかしよ、お前の似合わない髭な。童顔だから生やしてるんだろう? あっ、さては年下好きのミーナに言い寄られたから、背伸びしてたんだろ」
「昔の話だ……」
「お前の話なら何だって覚えてるよ、ネルゴーの案内人とダンスしてたりな。ウォルラスさんが大爆笑してたな。俺たちもしたけど」
「あれは不可抗力で…!」
「あと入団の時も弓忘れて挨拶きたりとかね。ふふっ。あのときは可愛かったわ」
 フリーは珍しくムキになって三人に弁明し続けた。そのあたふたした様子を見て、レオは心の中で動揺を隠せなかった。
 は⁉︎
 ネルゴーの案内人とダンス?
 しまいには入団のときに弓を忘れたったってどういうことだよ。僕の武器の手入れのダメ出し以前の問題じゃないか。
 ――そして僕と話してたときと髭を生やした理由が違うぞ。
 レオは自分の知らないフリーの一面や過去があったことに動揺した。レオは自分がフリーの唯一の弟子で、フリーにとって特別な存在だと思っていた。そして普段のフリーは弱みを見せず、ほとんど欠点がない存在に見えたし、認めたくはないがレオ自身、存在を認めてほしいと思うような、言わば憧れにも似た存在であった。自分だけが知っているフリーの面があると確信していた。先日の話もそうだ。しかし今ここで自分以上にフリーのことを知っている存在がいることに、何となく苛立ちを覚えた。
 そもそも当たり前のことだ。フリーの人生の中で、自分と一緒にいない時間の分だけ、レオの知らない姿で、他の人と時間を共有していることなんて。なのに。
 自分の幼稚な嫉妬と、フリーに対する独占欲に似た感情だということは承知している。頭の中では理解していても、それでも自分の中のドロドロとした気持ちが抜けなかった。
 談笑の中、レオが言葉を切り出した。
「なあ、僕は気分が悪い。帰っていいか?」
 バルクウェイから来た一行はレオを気遣った。
「大丈夫か坊主、酒でも飲みすぎたか?」
「何でもない……じゃあな」
 レオは立ち上がり、酒場の入り口のドアを開け外に出た。ドアのからんと鳴る鈴の音が店の中に響いた。
 レオは夜空の下で深呼吸をした。昼の陽気は暖かいが、まだ夜が冷える時分である。涼やかな外気を深呼吸して取り込むと、熱を持って回転していた頭が覚めるようであった。突如、背後から再度大きな鈴の音が響いた。フリーが笑う赤竜亭から追いかけて外に出てきたのだった。フリーは心配そうな表情を浮かべている。
「おいレオ、大丈夫か?」
「……何だよ」
「気分が悪いっていうから心配した。酒にでも当てられたか?」
 フリーの見当違いの答えにレオはより苛立ちを増した声になった。
「何でもない。気分が悪い原因は酒じゃないことくらい分かるだろ」
 ――やっていることはただの八つ当たりだ。言い放った瞬間、レオは自分自身に嫌悪した。
「レオ、その言い方はないだろう。人が心配してるんだから」
「心配なんていらないね。僕は大丈夫だ。僕より酒に弱い自分の心配をしてろよ」
「お前の今日の態度は感心しない。口を慎め」
「やなこった」
 二人を沈黙が包んだ。口火を切ったのはフリーだった。
「……レオ、俺はお前を賢いやつだと思っている。お前はできるんだから、自分の感情を言葉で説明する努力をしろ。そして、考えを巡らせて、お前が口にして誇りになるような言葉で言え。善いと思うことを言い、そしてそのための行動をしろ」
「意味わかんねえ。だいたい賢いやつ、だなんてよく言えたものだな。あんたが僕の何を知ってるんだ。適当なこと言うなよ」
 ――僕は本当に馬鹿だな。レオは心の中で呟く。フリーの心を逆撫でして、状況を悪化させるようなことばかり引き起こした。言いたいことはこんなことじゃないことなどわかっていた。
「レオ、俺は」 「じゃあな」
 フリーの言葉を遮り、レオは夜のスクーレへと駆けて行った。

   ◇

 スクーレは南アクラル随一の都会であった。街は寝静まるどころか昼とはまた別種の喧騒に包まれ、酒場やレストランには人が賑わい、昼に食料品を売る市が出ていた広場は若者たちの溜まり場に変わっていた。小腹を満たすような軽食を出す店もあり、食べ物の匂いも立ち込める。
 レオはがやがやと賑わう広場の隅、幅の広い階段に腰掛け、自身の行動を反芻していた。先ほどのフリーに対して投げつけた言葉、会ったばかりの人に八つ当たりする態度、自己嫌悪しか湧かない。もやもやとした感情と腹立たしさが残る。それはフリーにというよりは、自分に。伝えたい思いと伝えられる思いが相反している。そのバランスに悪さを自覚しているが故に、そしてどう切り出せば解決するかは分かっている故に、なおさら葛藤が続いた。思い浮かぶ様々な感情について考え込んでいたら、急に広場から高い声が耳に鋭く響いた。
「すみません!」
 広場に少女の声が響いた。少女は推定だが十歳を超えたくらいだろうか。どうやら酔っ払った壮年の男にぶつかったようだ。
「おいガキ、どこに目ぇつけてんだ。今回は許してやるが、気をつけろよ」
「はい……気をつけます。すみませんでした」
 ――スリか。しかもかなり手慣れている。
 少女はぶつかる際に男のズボンに入った財布を抜いていたのを、少女が謝る前に右口角を上げて嗤っていたこともレオは見逃さなかった。  スクーレでスリなんて日常茶飯事だ。この街では盗まれるのが悪い、放っておこう、そう今までのレオなら判断しただろう。
 しかしフリーの言葉が頭をよぎった。
 ――善いと思うことを言い、そしてそのための行動をしろ。
 正直、あの酔っ払いの男なんてどうでもいいが、悪事を重ねているであろう少女のことが気になった。少女の表情の険しさと笑いは、自身も何も信じていない頃、同じような表情をしていたなと、己の過去を想起させた。僕もとんだお人よしになったな。心の中で苦笑する。レオは走り、少女を追いかけた。

   ◇

 少女はゆるく坂道になっている道を勢いよく駆け登り、店のひしめく路地裏に入った。飲食店が多いこの界隈の路地裏は料理人や客の声などの喧騒が聞こえ、べとべととした油の匂いがする。少女が店の裏口にある樽の裏に姿を隠したのが見えたので、レオは少女に向かい大声で叫んだ。
「おいお前! 手に持ってる革財布を返せよ」
 少女は驚いたように身をびくりとさせると、樽ごしにレオに言葉を返した。
「何のこと? いきなり追いかけてきて何なの? 濡れ衣だわ」
「何でもないんだったらそこに隠れている必要がないだろ」
 レオは少女を捉えようと近づき腕を伸ばした。少女は軽やかに飛んで躱し、捉えようとした手は空を切った。
「まだまだね!」
「くそっ……」
「バイバーイ‼︎」
 少女は樽の影から飛び出し、路地裏のさらに奥、飲食店の裏のさらに細い裏道に駆け出した。道に置いてある樽や木箱やネズミの死骸などをひょいひょいと軽やかに越えて走っていった。
「おい! 待て‼︎」
 レオも慌ててそのあとを追う。くそっ、何だこの道、道じゃないぞ……! そしてあいつ逃げ慣れてるな。概ね、食うに困った孤児だろう。スクーレではよくあることだ。ならなおさら、何で僕はこいつを追ってるんだ。レオは時折自問自答しつつ走った。
 そうして二十分ほど追いかけた。持久戦であればレオの体力の方が上だった。レオは息を切らした少女を道の角に追い詰める。
「ちっ!」
「陳腐なセリフでダサいが、ここまでだ」
「あの男に財布返して何だっていうの?」
 少女は年齢に似つかわしくない、侮蔑の表情を見せた。
「正直、あの男はどっちでもいい。お前のその表情だ。それが気になって追ってきた。お前、おおかた孤児だろう?」
 少女は顔を険しく変え、語気を強めた。
「だから何? 分かった、盗みをやめろっていいたいの? 言っとくけど、あたしだってこんなことしたくてしてるわけじゃないんだから。スクーレで子供が生きていくのが大変だなんてみんなわかってるじゃない! 私には妹だっている! 食わせていかなきゃいけなんだからさ。なんの能力がないあたしなんかが、これから生きていくなら物乞いか殺ししかない。あたしはこれから奈落に入って……」
「そうだ。お前の言う通り、ここにいる子供だったやつなんてみんな大変だった。例外なんてほとんどない。僕も含めて」
 そう言いながらレオは言葉を飲み込んだ。
「でも忘れてくれるなよ。日々の盗みの生業に心を削がれて、顔にそれを出して卑屈になって自分の安売りをすることはやめてくれ」
「何よそれ」
「僕は今、お前の表情と昔の僕自身の表情が重なって、気になったから追ってきた。……妹を守るって誇りを大事にしろよ。守るべきものがあるやつは見どころがある。盗みをすぐにやめろとも言わない。ただ卑屈になるな、奈落はやめとけ。心が麻痺して戻れなくなる。ただもう少し、お前が妹に恥じないような、お前自身にとって善いと思う行動は何かを考えろ。そしてそれを実行するための仕事をこなせ。じゃないと、ダサい大人の再生産だ。スクーレによくいる、馬鹿でのろまな大人や、子供を傷つけることを正当化する大人になんてなりたくないだろ」
「なによ……じゃああんたが何してくれるっていうのよ」
「お前に僕が今できることは、何もない」
「何よそれ! あんたに私の何がわかるの? 説教は嫌いよ、じゃあね‼︎」
 少女はレオの隙を狙い、右横を通り過ぎ駆けていった。
「……はあ、僕は何やってるんだ。確かにこんな子供に説教しても仕方ないだろ」
 先ほど自分で言った台詞と、数時間前にフリーが言った台詞を反芻した。
 ――考えを巡らせて、お前が口にして誇りになるような言葉で言え。善いと思うことを言い、そしてそのための行動をしろ。
 無意識だったが、言われたことの受け売りじゃないか。レオは大きなため息をついた。
「僕もお人よしに感化されたか」
 そう一人ごち呟いた。

   ◇

 酒場の扉を背にフリーは自身の席に戻った。はあ、と大きなため息をつく。
「どうした、おっししょーさん」
 酒を入れたコップを空けたグリムは茶化すようにフリーに声をかけた。
「はあ、逃げられた」
「元気な跳ねっ返りな坊主だな、俺は好きだぜ」
 グリムは豪快に笑った。フリーは顔を曇らせ、ため息をついた。
「実は……師匠になったはいいが、レオとの接し方というか、距離感がよく分かっていないところがある。スクーレの大都会とティゴルの片田舎育ちの俺とは育った環境も違うし、恐らく考え方も違うだろう。それに俺は師匠にあんな反発はしなかったし、あの態度の中で何を言えばあいつに響く言葉になるのかも分からない。あいつに言葉の使い方を考えろだなんて説教しているが、自分がどんな言葉をかけるべきか、一番分からないんだ。レオが俺の話を聞かないのも無理はないな。自分自身に嫌悪するよ」
「……末っ子だったお前がこんなに人のことを考えるようになるだなんてな。なんだか微笑ましいよ」
 グリムはフリーを優しい瞳で見やった。そして、これまで話を静かに聞いていた神官のマリシアが、柔らかな笑みをたたえてフリーの方を向いた。
「そういえば、ブラッド団長も若い頃のウォルラスさんに手を焼いてたみたいよ」
「ブラッドさんが? 師匠に? 確かに師匠からはその話は聞いたことがあるが……」
「ブラッド団長からも聞いたことがあるの。何言っても言うこと聞かなかったことがあるって」
 フリーはブラッドさんも困ることがあるのかと、内心新鮮な驚きを覚えていた。騎士のライも言葉を続ける。
「なんなら、ウォルラス爺も最初フリーとの距離感を測りかねていたという話も聞いたことがあるな」
「師匠が? 俺に?」
「歳を取って弟子なんてとるの初めてだったし、ほら、あのときのフリーって舞い上がり気味で叱られてばっかりだっただろ? 指導が厳しすぎやしないかとか、実は気を遣っていたみたいだな」
「師匠が……知らなかった」
 くくく、とグリムは笑いながらフリーの顔を見た。
「お前は人に頓着しないから、実のところ師匠のことも弟子のことも知らないんじゃないか? レオの坊主のこと、どれくらい知ってるんだよ」
「俺は……そういえば、レオのことを何も知らないな。どうやって育ってきたのか、とか、何が好きで嫌いか、とか。育った環境については、スクーレで聞くのも悪いかと思って聞いてすらいない。あいつが嫌いなものは、まあ、なんとなく分かってきたけれど……」
「それだよ、それ。自分のことを知らなかったり、興味がないやつのアドバイスなんて身に入らないだろ? まずは相手の話を聞くのが基本だぞ? 知ることから、話をすることから始めたらどうだ?」
「ああ……」
 フリーは今までのレオとのやり取りを思い出し、逡巡した。バルクウェイから来た三人の温かな目に見守られながら。

    ◇

 夜もすっかり更け、月が高く登り煌々とシルの塔を照らす。騎士団本部の団員もすでに寝静まり、いつもは喧騒に包まれる本部も静けさが訪れている時分であった。
 フリーはバルクウェイの三人と別れ、帰途に着いていた。騎士団本部の正面口の横にある、通用門の鉄の扉を開けた扉の先には中庭があり、そこには月夜を見上げるレオが佇んでいた。
「レオ、俺を待っていたのか?」
「……別に待ってやってたんじゃない。でも言いたいことがあったから」
 それを待っていたというんじゃないか、そう言いかけたが喉まで出かかって飲み込んだ。レオは憮然とした表情を示している。沈黙が二人を包んだ。そのあと、どちらからというわけでもなく、口を開いた。
「「なあ、あのさ」」
 フリーとレオの声が重なった。
「……何だよ、先に話せよ」
 レオに促され、フリーは遠慮がちに言葉を続けた。
「レオ、お前がさっきなんで気分を悪くしたのか、正直考えても今の俺にはわからない。俺が言葉にしろって言ったけど、俺自体が言葉にできていなかったな。悪い」
 レオは驚きを含めた瞳でフリーを見た。
「どんな風向きの変化だよ」
「俺はお前のことを全然知らない、どう育ってきたのか、何を考えてるのか、何が好きなのか、怒りの原因はなんなのか……それを知って理解することで初めて師になるような気がしたんだ。これからはレオの思ってること、もっと教えてほしい」
 レオは思いもよらなかった言葉に面食らった。
「いきなり直球になんだよダサいな」
 レオは顔を視線を横に逸らし、再度フリーに向きやった。
「僕だって……悪いと思ってるんだ。僕は、あんたのことを少しは知ってると思ってたし、僕だけが知っているあんたがあるとも思ってた。でも僕といない時間だけ、あんたが他の人と過ごした時間があって……。僕はフリーのことを何も知らないって、気づくのが怖かった。だから今日来た三人に嫉妬した。フリーにも八つ当たりして悪かった。僕だってダサいんだ」
 レオは言葉を発したあと、自身の足元に視線をやる。手は力がこもり固く拳をむすんでいる。フリーはレオを見つめ、満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、おんなじだな」
 レオは驚いた表情でフリーを見やった。ぎゅっとむすんだ拳を解き、腰に手を当て、そっぽを向いた。
「……まあ、そういうことにしてやってもいいけど」
 少しの沈黙が流れた後、レオはフリーに向き合った。
「フリー、僕は思ったよりあんたに影響されているらしい。……なあ、これからも教え続けろよ。僕もフリーのことを知って……たくさん吸収するから」
 フリーは温かな鳶色の瞳でレオを見つめた。
「ああ、分かった。レオ、今日はもう夜遅い。建物に入ろう。そして明日の朝、三人を街外れまで見送りに行こうか」
「うん」
 夜の優しい風が二人の髪を撫でた。この気候であれば、明日の朝も快晴であろう。二人は騎士団本部の建物の扉を開け、パタン、とゆっくりと閉めた。

あとがきなど

できあがったらフリレオ色薄めで、レオのフリーへの感情の向け方や、フリーの師としてレオに対する距離感をどうすべきかなど、お互いの成長のお話になりました。
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