手記



「『右顔の横に攻撃がきた時は、左足を軸に膝の柔らかさを使って半円形に体重移動をかけて、勢いにのって左からみぞおちに一発入れる』反撃も色々だな」
 夜、満月が高くのぼり空を明るく照らす。スクーレの騎士団本部執務室の窓にも青白い月の光が差し、半開きの窓にかかるカーテンは柔らかい風でたなびいていた。
 騎士団は遠征に行き実際に魔物を討伐する、という仕事の他にも、討伐の記録――被害状況の調査報告書や遠征費の帳簿をつけ、また各種補助金の申請など事務仕事もたんまりとあった。スクーレ人は財布の紐が硬く抜け目がないので、騎士団の台所事情も決して余裕があるとはいえない。そのため留守を守る事務官が不足しており、遠征から帰還しても団員達はやらなければならない仕事が山ほどあった。とはいえ、日頃の鍛錬を欠かしてはいざという時に魔物と相対せなくなる。レオは一日に鍛錬と膨大な仕事をこなす忙しない日々を送っていた。レオは師匠との鍛錬時、欠かさずその日の内容を羊皮紙の小さなノートに記録している。自分は強くなるために騎士団にいるという意識が人一倍強かった。遠征記録を書いた後、執務室で師から受けた指導を書き留めるのが日課になっていた。
「……流石に眠い。そろそろ寝室に戻るか」
 レオは部屋のランプの火を手で扇ぎ消した。食堂から酒を飲んでいる団員達の声が聞こえたが、その日の疲労が限界に達していたため、レオは階段を上がり自室まで一直線に帰っていった。
 十五分ほど経っただろうか、入れ替わりになるように執務室に入る姿が見えた。ドアと同じくらいの高さの影が伸びる。騎士団の中核を担う男、フリーであった。
「おーいレオ、いないのか?」
 入り口にあるランプに火をつけ、室内が明るく照らされる。
「せっかくイロースがリーヴェ修道院からうまい焼き菓子をもらってきてくれたんだが……おすそ分けできないな」
 フリーからは微かなアルコールの匂いがする。決して酒に強い方ではないので、耳までほんのり赤く朱色に染まっている。足がふらつき、書類が積み上がっている机にぶつかり、数冊の本が床に散らばった。
「しまった……」
 床の本を一冊ずつ拾う。大判の本に紛れて、表紙が片手大ほどの紫の表紙のノートが、ページが床に面した状態で落ちているのが見えた。紙の切れ端が挟まれていたのか、メモも床に点々と散らばっていた。
「記録用にはしては小さいノートだな」
 フリーは呟いた。メモを一枚一枚拾い気づく。この細い丁寧な字はレオの字だな。そういえばレオの机の上にいつも置いてあるもののような気がする。手記のようなので内容を見るのは忍びないが、拾う際に見えてしまうので、ごめん、と心の中で申し訳なさを思いながらメモとノートを見た。
 九十二日
 午前フリーに武器の手入れの仕方を教わる。今日はブラッドの大剣の整備の仕方がメインだった。研ぎ石だけだと仕上がりが甘くなるので、少し目の細かい研磨剤を併用すること。手を切らないように注意すること。
 九十四日
 昼二時からフリーと稽古。手合わせ。動きが見切れなくてボロボロに負けた。悔しい。体の側面を相手に見せないようにすること。
 九十五日
 午前にフリーと稽古。モンスターから正面に攻撃を受けそうになった後、反動を使って反撃する方法を学んだ。膝のさらを柔らかく使うことがポイント。
 ――俺との稽古の記録ばっかりじゃないか……。弟子が自分とのやり取りをここで毎日こまめに記録している姿を想像すると微笑ましい。メモの方もノートに挟み戻す際に見えてしまった。
 一週間の終わりのメモ
 フリーに追いつくにはまだ全然実力が足りない。早く追いついて、いつか僕はフリーの横に並べるだろうか。いつも反発するのはダサいことだと分かっているが、ついやってしまう。好きなのを悟られないようにしなければいけないからだ。
 いつも叩く憎まれ口とは対照的な、等身大の素直な気持ちが綴ってあることに驚きを覚えた。どういうことなのか意図が測りかねる文章もあるが、こんなことを考えていたんだな、と入団当初の様子と比べて感慨深くなった。
 こんな大事なノートだ、本人に返さなければいけないが、ここに置いていたら他の誰かに見られてしまうかもしれない。フリーはレオの居室に向かった。
 レオはもう寝ているだろうか。レオの部屋の前まで来て思案していたが、どうやら中からバタバタと音がするので、起きているようだ。静かに二回ノックをした。
「レオ、起きてるか?」
「フリー?」
 部屋のドアを開け、
「あっ……弱いのに酒飲んだな、この酔っぱらいめ」
「悪いな。……今お前の大切なものを届けに来たんだ」
 そう言ってフリーはレオのノートを差し出した。レオは驚きで目を見張り答えた。
「これ、僕が今探していたやつだ! どこで見つけたんだよ」
「レオを執務室に呼びにいったら偶然ノートを拾ってしまって」
「中は……」
「悪い、床から拾う際に少し見てしまった」
 弟子のいつも余裕のある顔が真っ青になる。
「なんか、俺のことがたくさん書いてあったが」
「どこまで読んだ?」
「九十五日頃の訓練記録とまとめのメモまで」
「人のノートを見るなんて行儀が悪いぞ‼︎」
「悪かったよ。謝る」
 レオはふん、と横を向いた。
「なんか好きとか書いてあったが」
「……‼︎ 勘違いするな、好きは師匠としての好きだ」
 レオは腕を組み、フリーを見上げた。
「わかった……。俺は鍛錬の成果をこんなにも真剣に書いているのには驚いた。俺もレオに一回一回を大切に教えなきゃいけないな」  フリーは黒目がちな目を細め、柔らかな笑みを浮かべる。
「えらいぞ、レオ」
 弟子の頭につい手が伸びる。細い金糸のような髪がくしゃくしゃと波打った。先ほどまで青くなっていた顔が次は耳まで赤く染まる。突っぱねられると思ったが、弟子は意外にも素直にフリーのゴツゴツとした手の感触を受け入れた。幾ばくか経ったのち、レオは横を向いたまま答える。
「……でもそれ以外もあるかもしれないからな! 可能性の話だ! じゃあなおやすみ」
 そう言って扉をガチャンと閉めた。最後の言葉の真意はそのまま受け取っていいのか分からないが、フリーは微笑ましく思う。また、当初悩んだ弟子との距離感が近くなっていることに嬉しさを感じた。
 廊下の窓の外には温かい月の光が見えた。

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