仲直りの証に



「あれほど間合いが大事だって毎日言ってるだろう!」
「昨日のことだろ! 分かってる、聞き飽きた、分かってるよ!」
 スクーレの騎士団本部の中庭に、フリーとレオの鋭い声が響き渡る。蔦の這う煉瓦の建物に強い陽光が射し、黒い影は強く伸びる。一段と暗い中庭の隅に剣呑な二人の姿が見えた。
「俺がお前と魔物との間に入らなかったら大惨事になるところだった」
「分かってる」
 フリーは真剣な表情で鋭くレオを見遣った。声色は平時の暖かみが含まれるそれとは異なり、低く発せられている。眉間を寄せ憮然とした表情でレオは視線を逸らした。
「敵にとどめを差したいのは分かるが、無茶な戦い方はやめろ」
「別に功を焦ってたわけじゃない……。僕にだって言い分がある」
「じゃあ言ってみろ、聞いてやる」
 レオは顔色を変え、碧色の目に怒りを露わにする。
「だってあんたが! ……いや、いい。ダサいから言わない」
 強い語気を失速させて急に口を噤んだ。それを聞きフリーは鳶色の双眸に静かな怒りを込める。
「言わないのにこちらに分かってくれというのはただのわがままだぞ」
「ふん……。いい、この件はもう終わりだ。じゃあな」
 レオは踵を返し中庭を出て行こうとしたが、フリーはその後ろ姿に声を強く刺した。
「レオ! 頭を冷やしてよく考えろ!」

  ◇
 
 なんで僕の真意を理解してくれないんだ。でも僕も悪い、伝えていない。でも取り付く島もなかったじゃないか。苛々とした気分を抱えながらレオは中庭を出ると街に繰り出した。騎士団本部から二十分ほど歩いた場所に広場がある。賑やかな子供達の声と走る音が響き、石造りの噴水は陽光を反射し輝いていたが、レオの現在の気分とはまるで対照的な明るさであった。レオはフリーの声を幾度となく反芻し、鬱屈とした気持ちを蓄積させていた。噴水の縁石に座わりため息をつくと、頭の上から聞き慣れた声がした。
「おーい、レオじゃないか! ……なんだか、今日は一段と機嫌が悪いな」
 明るい日の光に不釣り合いな青白い肌を持った不死の男、騎士団団長のブラッドの声だった。手には広場の横道の角にあるパン屋で買ったであろうバケットが飛び出している袋を抱えている。
「ブラッドでも分かるんならだいぶ顔に出てるんだな」
「俺だっていつも鈍感なわけじゃないさ、団員の様子は把握してる。どうした、フリーに絞られたりでもしたのか?」
 苦笑しながら発せられた言葉は図星だった。
「説教されたから僕が遮断したんだ……フリーのやつ、分かっているようで全然わかってない」
「んー、いや。フリーはお前のことをよく理解して掴んでると思うぞ」
「僕が言っているのは僕の理解じゃない……フリーの、あいつ自身への理解だ」
 ブラッドは赤い目をきょとんとさせたが、一考して答えた。
「……あー、なんとなく分かる気がするな」
 
 レオはブラッドに昨日街の近郊で魔物の討伐に行った際の顛末を話した。
「フリーは、昨日の戦闘で僕が「魔物にとどめを差したいから懐に飛び込んだんだろう」って、僕に説教と間合いの話をしてきた。でも僕は……」
 レオは手をぎゅっと握る。
「フリーはあの時ミロミラムを庇おうとして前列に出た。ただフリーの背後にもう一匹魔物が潜んでいて、あいつが気づかなかったから僕が魔物に攻撃をした。魔物との距離が遠かったから僕は一歩踏み込んだが、攻撃の方向が悪くて逸れてしまったんだ」
 ブラッドは頷きながら情景を想像する。
「だから僕自身が敵の前に晒された。そこを振り返ったフリーが魔物にとどめを差した」
「レオがフリーの援護をしたけど、それが逆だったと勘違いされたってわけだな」
「……こんな話を本人にするのはダサいだろう。あんたを守るためだったけど失敗したんだ、なんて伝えるの」
「確かに、フリーはいつもは完璧な間合いだが、他に守る奴がいると、アーチャーなのに自分が前にでて距離を詰めて戦う癖があるな。本人が自覚しているかはわからないが……。長年見てるが、フリーはそういう奴だな」
「だろう? 僕だけが謝ることじゃないね」
 不満げな様子を露わにするレオに、ブラッドは柔らかな心地の良い声で答えた。
「ただ、いつまでも意地張ってるわけにもいかないだろう? ボタンのかけ違いが起きたときは、相手に言葉を尽くすことも大事だと思う。謝れとは言わないが、素直に話してみるのがいいんじゃないか。とりあえず夕飯でも食べて、少し落ち着いた時にでもさ」
 見守るような眼差しを前に、レオは視線を落とした。
「ところで、レオ」
 優しいブラッドの目に鋭さが宿る。
「な、なんだよ」
「……パン屋でパンが美味しそうだったからたくさん買ってしまったんだが、俺一人じゃ食い切れない量を買ってしまったから何個か貰ってくれないか」
 レオは思いがけない言葉にあきれた。
「ブラッド耄碌したのか? 夕飯の時に団員みんなに出せばいいだろ」
「大勢で分けるほどは数はないんだ」
「なんだそれ……まあありがたく貰ってやるけどさ……」

  ◇
 
 今日のレオの態度はなんだったんだ。夕飯を済ませ、自室に戻ったフリーは一人反芻していた。夕飯の時も俺と目も合わせないし、気まずいから声掛けるがてらレオの好きな果物が皿にあったから俺の分を分けに行ったら、別に、の一言だ。いつもなら子供じゃないぞとか言いながら一つ持って行くんだけどな。そもそもあいつ今日夕飯にほとんど手をつけてなかったんじゃないか……? 思い返してはため息をつくの繰り返しだった。
 フリーの部屋は騎士団本部三階の角部屋で、一階下の一般団員とは別のフロアにある。この階は部屋の間隔が広く取ってあり、騎士団の中核を担う数人の団員しかいないためか、静寂がこの階を包んでいた。
 フリーの質素な部屋は整頓され、弓矢と遠征用の荷物のほかは全て調度品の棚の中に納められている。机の上には本が一冊と、ナイフ、今しがた彫っていた木の人形と、削りかすが散らばっていた。フリーは黄土色のシャツを脱ぎ、体に沿った短めの黒い肌着だけ着用していた。もう寝ようと寝台に腰かけたその時、こんこんと扉をノックする音が聞こえた。
「誰だ?」
「……僕だ。フリー、入ってもいいか」
 ドアを開くとレオがランタンを手に持ち佇んでいた。首元が丸く鎖骨まで開いた白い麻のシャツに、同じ色のカーディガンを肩から羽織っている。光がゆらゆらとしていて細かな表情は窺えなかった。
「どうぞ。レオ……どうした、今日のことを反省しにきたのか」
「フリー……うん。……僕の態度、悪かったな……」
 絶対に反論されるに決まってる。そういう腹づもりだったがいつもと違い随分と殊勝な弟子の態度に肩透かしを喰らった。
「やけに素直だな」
「うるさいな。謝るけど僕にだって言い分はあるぞ。僕だって……フリーを守りたかったんだ」
 想定していない答えに目を見開いた。
「とりあえず、立ち話はなんだ。部屋に入って座って話そう」
 フリーはレオを部屋に招き入れ、ぱたりと扉を閉めた。
 
 
 レオは昼間ブラッドに話したように事の顛末を話した。
「僕だって……フリーを守りたかったんだ。あんたの背後に敵がいて踏み込んだ。……フリーは自分の扱いがぞんざいだから気づかないことが色々あるだろ」
 フリーは寝台に座り、寝台の前の椅子にレオは腰掛けている。光に照らされた顔は切迫な表情が浮かんでいる。
 弟子がこんなにも周りの状況を把握できるようになったことに小さな喜びと、同時にどうしてきちんと事情を聞いてやれなかったのか、後悔の念が同時に去来した。
「そうか……。レオ、事情を察しないで一方的な態度をとった俺の方こそ悪かったな。守ろうとしてくれて、ありがとう」
 フリーはレオの頭に手を伸ばしそっとその頭を撫でた。フリーはレオの金糸のような柔らかな髪を触るのが好きであった。レオは珍しく黙ってその手を受け入れていた。レオは俯いた顔を上げる。
「なあ、フリー、隣行っていいか?」
「ああ」
 レオはフリーの右横に座った。寝台が軋む高い音がした。
「あのさ」
「なんだ」
「……少しホッとした」
 レオはフリーの左肩に頭を傾けた。フリーは黙ってそれを受け止めた後、左手でレオの左肩をぽんぽんと軽く叩いた。それからしばらく経った後だろうか。レオの腹の音が盛大になった。羞恥を含んだ顔でフリーを見やる。
「……ダサいが、安心したらお腹が空いた」
 フリーは吹き出した後、安堵の笑みを向けた。
「レオ、夕飯ほとんど手をつけてなかっただろ。食堂に余り物があるか見てこようか?」
「昼間にブラッドからパンをもらったから大丈夫……。フリー、一緒に食べたい」
「分かった。わだかまりが解消した記念じゃないが、一緒に酒でも飲むか?」
「……うん。部屋からパン持ってくるから待ってろ」
「分かった。俺も食堂に行って食器を持ってくる」
 
 ブラッドからもらったパンは、ライ麦のバケットの他にも、ハーブとハチミツが練り込んである少し甘みのあるものも含まれていた。ローズマリーの爽やかな香りが立つ。フリーの部屋には深い赤色の葡萄酒が一本あった。酒は余り嗜む方ではないが、先日騎士団本部の近くに住む高齢のご婦人の手助けをしたら、お礼に貰ったものであった。
 二人は隅に寄せられている机を片付け広い空間に移動させ、向かい合わせで椅子に着席した。机の上は葡萄酒とパンを置くといっぱいになってしまった。
 レオはコップに注がれた葡萄酒を空けては注いでいる。フリーは思わず制止し、たしなめた。
「おいレオ、俺よりお前の方が酒が少し強いとはいえ、ペースが早すぎないか? 空きっ腹に酒は回るぞ。気をつけろよ」
「もう回った」
「大丈夫か……!?」
「大丈夫だ」
 弟子の顔は赤みを帯びていた。明日の朝の会議に差し障りがあるなら瓶を空ける前に止めなければと思案していると、レオが口を開いた。
「なあ、フリーは自分の扱いが雑すぎないか。……いつも人を大切にするのもいいけど、自分も大切にしろよ」
「あまり自覚がないが…」
「あんたがそうしないなら……僕が大切にする。これからもあんたを見て、背中を守りたい」
 酔っているのもあるだろうが、それでも以前の弟子なら口にしなかったような言葉にフリーは微笑ましくなる。
「ああ、それは心強いな。安心して任せるようにしよう」
 その言葉を聞いて伏せがちな目を開き、碧色の瞳でフリーを見つめた。口元には笑みが見えた。フリーは部屋の一角にある棚の引き出しから、先ほどまで彫っていた木彫の人形をレオに渡した。
「これをやろう。さっき手が空いたから作っていた。今日の約束の記念な」
「あ、ありがとう。……犬か?」
「いや、熊だ」
 一瞬形容し難い沈黙が流れたが、片方がそれを破ると会話は再開し、葡萄酒はすぐに空いてしまった。
 
   ◇
 
 翌朝、案の定レオは二日酔いの頭痛に見舞われた。レオがあまり見せない様子に団員達は笑う。フリーは若干の罪悪感を覚えていた。
 ばたばたと賑やかな会議の終わった後、団長は一人部屋に残った。
「仲直りしたならよかったな。やれやれほっとした」
 チェスのような駒をひとつ手に取り、クルクルと弧を描くように回した後、ゲシュタルトボードにカチャリと置いた。窓の外から流れる柔らかな風がブラッドの頬を撫でていた。

あとがきなど

初期の頃はたまに口論もあっただろうなあと想像して書いてみたやつです。
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