邂逅


大人になったレオが師匠になりたてのフリーに夢の中で会う話です(4188文字)


 夢まぼろしというのは見ている最中にも自覚があるものらしい。例えば、死の淵を彷徨うときに、寝ている自分の枕元に自身が立ち、その状況を観察しているとか。夢を見ているとき「これは夢だ」と思いながら夢の人物に語りかけるとか。その夢の手触りが妙に現実味を帯びているときがある。もしかしたら、今がそのときなのかもしれない。
 レオはスクーレの0番水路にかかる橋の上に立っていた。水路に掛かる橋は多くの人が往来し、ガラガラと何台もの荷馬車が通り過ぎていく音がする。聞き慣れた雑踏の音、砂ぼこりの混じる風の匂い、飽きるほど見たいつもの光景であるが、心なしか自身の知っている風景とは些か「ずれ」があるように感じる。橋梁付近にいつもいるゼッペル爺さんは白髪の混じり具合や顔のしわの様子から幾分か若く感じるし、行き交う人の流行の服もまた、大体一〇〜二〇年くらい前に流行った型式だ。
 ──これは夢だ。妙に現実感を伴った、夢だ。
 レオはそう直感した。目が覚めるかと思い自身の頬をつねってみたが、ただ痛覚を刺激しただけであった。この夢のようなものは最後まで見るしかないのであろう、見ていればどうせある程度のところで目が覚める。そう考えたレオはため息をついた後、水路一帯を見渡した。その際、どうも視界の端で何かが動いていることに気がついた。誰かが誰かを追っている。追いかける方は大きな声を発しているが、詳細までは聞き取れなかった。大方盗みか喧嘩かだろう。そう無視を決め込もうとした矢先、それが誰であるかに気づいた。  追いかけているのはフリーで、追われているのは―──僕だ。
 視界に映るレオ自身の姿は入団直後、おおむね一五、六歳の時分の姿であろう。歳の差から計算するとフリーは二〇代半ばの計算になる。今ここで夢を見ている本人――現実のレオは齢を三五を超えたばかりなので、かつて見た師匠の顔が自分の覚えている姿よりも随分と若く、まだまだあどけなさを残す顔を見つめ、思わず口元がほころぶ。
 彼らを観察していると、その姿が接近してきた。一五歳のレオは細い体躯を活かし、自身の目の前を通り抜け、その先の荷馬車の間をもするすると抜けていく。フリーは荷馬車にせき止められ右往左往しているうちに二人の距離は徐々に離れていった。フリーは橋で渋滞状態の荷馬車に挟まれ、その場で足を止めざるを得ない様子が眼前から見てとれた。
「フリー、じゃあな!」
「待てレオ!」
 追われているレオの姿は小さくなり、そして雑踏に紛れていった。フリーは追いつけないことを悟り、深いため息をつく。踵を返し荷馬車から離れようとしたとき、フリーはふらつき、こちらにぶつかってきた。
「すみません!」
 フリーはすかさず詫びの言葉を続け、榛色の瞳がこちらを見つめてきた。フリーは驚いたように目を丸く小さく形を変え、声をかける。
「あっ、あの…………」
 夢の中で邂逅をした事実に驚き、レオの心臓の鼓動は高まったが、声色は平静を装う。
「……何か用件でも?」
「いや……ぶつかってしまってすみません。そして、あまりにもあなたに似ている人がいて驚いて……って、背も歳も全然違うんですけど。顔の造作とか、雰囲気とか……あ、雰囲気はあなたの方が落ち着いているのですが」
 フリーは慌てた様子でレオに矢継ぎ早に言葉を続けた。レオは勘づかれても説明が面倒だと思い、言葉を遮る。
「他人の空似というやつじゃないか? 失礼ながら、僕にはあんたに似た知り合いがいない」
 ――――今日一番の大嘘だ。しかし、この大嘘が効いたのか、フリーは冷静さを取り戻した。
「そうですよね。……失礼しました」
「いや、別に構わないが……」
 ここで会話を終わらせても特段支障がなかったが、夢の中でせっかく師匠に会えたのだからもう少し会話を続けたいような、また、過去の自分がどんなことをやらかしていたのか小さな好奇心も湧き、会話を続けることにした。
「ところで、誰かを追いかけていたが、誰を追いかけていたんだ」
「恥ずかしながら俺の弟子で……」
 そんなことは実は知っているとも言えず、どの言葉を続ければよいのか逡巡した。
「事情があるなら、聞くが……」
 なんでこんな安請け合いしたんだか。

   ◇

「あいつはレオといって……今年取ったばかりの弟子なんですけど、俺のことを信用してくれなくて。いや、知り合って間もないのに信頼しろというのが元来無理があるのものなのかもしれませんが……」
「まあ、お互いのことを知るまでは難しいかもしれないな」
 二人は橋を降り、水路沿いの道まで歩いた。胸の高さまである石の手すりに手をかけ、あるいはもたれ掛かりながら会話を続けることにした。水路の水は多くもなく少なくもなく、静かに穏やかにたゆたう。
「そう……ですよね。因みに俺はスクーレで私設の騎士団に所属していて、そこでの弟子なんですが」
「ああ、お噂はかねがね。なんか物好きがいるってスクーレでは有名だぜ」
「ありがとうございます。……今回は弟子と騎士団の古参団員とのトラブルで、戦い方に関する指摘を他の団員が伝えたら、「僕はあんたに指導されるほど弱くない」と反論した後に先輩団員の戦い方を貶したがために喧嘩になってしまって。俺たちは集団生活なのでうまくやれ、そして忠告は聞けと、レオを呼び出して注意しようと思ったんですけど、逃げられてしまいました」
 ────どう考えてもレオが悪い。フリーから逃げた出来事に関しては心当たりがありすぎて当初どのことなのか分からなかったが、その中でも自分が悪いとしか言いようがない件だなと頭を痛めた。騎士団はのっぴきならない命のやりとりをしている。今自分が指導する側として、同様の態度を後輩の団員が取ったとすれば、一言「出て行け」と宣告するであろう。昔の自分がこんな恥知らずだったとは。自身の口癖の「ダサい」を使う恰好のタイミングだ。むしろフリーはよく辛抱強く自分を追ったなと、師としての度量の深さを改めて感じ入ることとなった。
「俺は何かを強制はしたくないんです。俺の師匠が、いつも背中を見せて惜しげもなく戦い方やそれ以外も伝授してくれましたし、自発的に考えるようにいつも促してくれたので。ただ……」
 フリーは手すりに置いた手をぎゅっと握り込んだ。
「俺には師匠としての経験も足りないんだと思います。だけど、俺どうしてもレオには騎士団を支えられるような人間に成長してほしくて……恥ずかしながら、毎日が試行錯誤です」
 自分がまだ入団したての頃、師匠は何よりも大きくて、悩んでいるそぶりなど一つも見せなかった。しかし今のレオから見れば、年相応に悩む青年そのものだ。自分の師にもこんな時期があったのかと思うと、少し微笑ましい気持ちすら覚える。
「すみません、俺より全然年上で、なんだか話しやすくてつい話したくなって色々喋ってしまいました」
 フリーは頭を下げようとしたが、レオがそれを制するように言葉を続けた。
「なあ、僕がいうことじゃないかもしれないが――あんたの思いは、弟子に伝わってるんじゃないか。今は分からなくても。ただそうだな……その馬鹿弟子は信じることに慣れていないだけで、あんたのことは本当は信じたいって思ってるぜ」
 フリーは思いもよらない答えだったかのように、きょとんと目を丸くした。その様子にレオは思わず笑みがこぼれる。
「真面目すぎるんだよ、たまには息抜け。あとは周りにも相談すること。助言を仰ぐこと。これについては弟子のこと言えないんじゃないか。ブラッ……騎士団なら団長とかいるだろ? あんた一人で支えてるんじゃない。あんただって支えられてもいいんだぜ」
「そういう……ものですか?」
「僕にも師匠がいて、あんたみたいに馬鹿真面目で真っ直ぐなやつだったよ。まあ、せいぜい頑張るんだな――ところで、そろそろ弟子を追わなくていいのか?」
 空の色や日の傾き加減から、午後三時辺りを過ぎた頃だろうか。徐々に翳りを帯びた空が頭上には広がっていた。
「そうだ……そろそろ失礼します!」
 フリーは踵を返したが再度レオの方を振り向いた。
「あの……ありがとうございました!」
 フリーは一礼すると、顔を上げ、人懐っこそうな笑みを浮かべた。
 そこから先の夢のことは覚えていない。

  ◇

 頭上で声がする。
「おーいレオ、昼寝しないで起きろよ。俺の昼寝をこれから怒れないぞ」
 呑気な団長の声が聞こえ、レオの頬を軽く叩く音が聞こえた。しかしそれより発言の内容が看過できない。思わず声の方向から伸びた手を握り返し、声のトーンを下げ、告げる。
「仕事サボって昼寝するのなんてこれからも許せるわけないだろ」
「うわっ」
 ブラッドは一瞬怯むように驚いたが、いつものように柔和な笑みを浮かべた。
「起きた! おはようレオ」
「今何がどうなってるんだ」
 レオはブラッドの手を離した。今自分は自室の寝台の上に転がっているらしい。ブラッドは寝台脇の椅子に腰掛け、レオの目覚めを待っていたようだった。
「いや、正午過ぎに遠征の計画を練ってたら急に倒れたんだよ。最近徹夜しっぱなしだったから体調悪くなったんだろうと思って、レオを自室まで運んだんだ。二〜三時間寝てたんじゃないか」
「ブラッド、悪いな。でも徹夜はあんたが遠征先の地図の更新をしてなかったから僕が代わりに整理してやってたんだ」
「悪い……」
 ブラッドはバツの悪そうな顔で微笑んだ。レオはため息をつき、夢の内容を反芻する。
「――珍しく夢を見た。若いフリーに会ったんだが、こんなことは初めてだ」
 ブラッドはレオに興味深げな真紅の眼差しを向けた。ふと右斜め上の方に視線を移し、数秒静止した後、何かを思い出したかのように口を開いた。
「あー……そういえば、昔フリーが歳を取ったレオに会ったって言ってたな」
「はあ!? いつの話だ」
「かれこれ二〇年前くらいの話だな」
「よくそんな話覚えてるな……」

   ◇

 夢まぼろしというのは見ている最中にも自覚があるものらしい。ただ、それが夢なのか幻なのか、はたまた現実なのか、それは当人でも分からないことというのは、往々にしてあるのだった。

あとがきなど
レオもフリーの歳くらいになるとわかることがたくさんあるかなとしみじみ書いたお話でした。
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