指でたどる言葉


CPなしの師弟関係の、しみじみ師を思い出す二人のお話です。(3692字)


──この男は、弓を引くのも文字を書くのも、所作がいちいちきれいだと思う。本人には絶対に言ってやらないけど。

 うららかな風がさらさらと吹き、外からは子供の笑い声も騎士団員の雑談の声も聞こえる。室外で行動をするのに絶好の日和だが、対照的に、フリーとレオは騎士団本部室内の記録室にいた。ひんやりした空気が静寂と共に部屋を包み込んでいたが、窓から薄く差し込む陽光が、並んで着席する彼らの背中を暖かく照らしてもいた。
 レオは赤い表紙の分厚い書物の中身をざっと一読し、目で文字を追う。読み終わり本を閉じると埃が舞い、目に入り反射的に涙が出た。レオは眉間に皺を寄せ、ため息をつく。
「はあ、こんな晴れた日に部屋の中での遠征記録の作業かよ」
 フリーはその一言が聞こえていなかったのか、筆記を続けている。フリーの字はお世辞にも綺麗とは言い難いが、硬質で素朴な、本人の性格をそのまま反映させているような字であった。
 レオは一言も発さないフリーの姿を観察する。一本芯が通っているような、一直線に張った背筋、ペンを持つ手の手首は柔らかく固定されて、筆記時に肘から動かし羽ペンを滑らせている。
 ――こんなに几帳面に文字を書く人を初めて見た。自分がベッドに寝転びながら木炭でノートに曲を書きつけているのがわかったら怒られそうだな、などと考えている間にフリーの手が止まった。
 ペンの先を見ると、

 1013年 記録者 フリー・アルヴァロス

と紺色のインクで書きつけられていた。
 フリーは安堵した様子で署名を確認し、ペンを置いた。すると自分に注がれるレオの視線に気づき、声をかけた。
「終わった……字を書くときは緊張するんだ。ところでレオ、さっき何か言ったか?」
「別に大した用事じゃないからいい」
「そうか」
 相変わらずあまのじゃくなレオの言動だが、師も最近は慣れてきたのか逐一小言を言わなくなった。レオはそんなフリーに少し物足りなさを感じ、言葉を続ける。
「なあフリー、なんで記録を書くときにそんな几帳面な姿勢で書くんだ? 字なんてそんなに改まって書くものじゃないだろう。見てるこっちが疲れる」
 弟子の不躾な言動を聞き、フリーは怒るどころか照れくさそうに笑った。
「ああこれか、これはな……。字は師匠とブラッドさんから教わったんだ。ティゴル谷にいたとき字はざっくりと読めたが、書いたことはほぼなかったからな。そのときの師匠達の厳しい教えが体に叩き込まれているんだろう」
 失礼なことを言うな、などの叱責の言葉が続くことを予期していただけに、レオにとってその言動は肩透かしだった。
「まあ別に……僕にはわからない世界だけど」
 レオはフリーから視線を逸らして記録室全体に目をやった。オンボロな騎士団本部だったが、本棚は新しく立派なものが備わっていた。オルガが補修の際に器用に製作してくれたためだ。遠征記録はバルクウェイから取ってはいたものの、1010年の災厄の際に燃えたものも多いらしく、一部しか持ってこれなかったようだった。スクーレにきてからはこまめに記録を行い、壁一面の本棚の三列ほどが埋まっている。帰還してから書いたものもあれば、旅の中で羊皮紙に書きつけたメモを綴じたものもあるので、書物が増えるスピードは早かった。しかし、こんなに労力をかけて記録をする必要があるのだろうか。遠征記録の事務より訓練の時間を増やした方が、団員強化には必要なのではないだろうか。レオは小さな疑問を口にした。
「なあフリー、この遠征記録って書く必要があるのか? こんな小さな団の記録なんて、誰も気にも留めないだろ」
 フリーは弟子の方に視線を送り、微笑んだ。
「レオ。遠征記録はまずは俺たちのために必要なものだ。どんな魔物といつ戦い、どの攻撃が効いて、効かなかったか。次の戦いに有効な情報を残せる。また、どんな人が往来し、人間関係が育まれたか、騎士団の歩みを残す意味合いもある。これはまあ、長い時を生きるブラッドさんがいろんな団員のことを忘れないための備忘録も含まれているかもしれないな」
「ああ……」
「それに、レオが言うとおり、確かに騎士団は小さくて、スクーレではよそ者の俺たちを気に留める人なんていないかもしれない。ただそんな俺たちが、街の人に少しでも知ってもらうために戦果を知ってもらう必要がある。それが新規団員の応募の有無にも繋がってくるだろ」
「それはそうだけど……」
 フリーは最近、レオとの距離感を掴みきれたのか、最初の頃のように戸惑ったり叱ったりすることは少なくなった。代わりに諭すことを習得できたようだ。レオは正直、こちらの方がやりづらかった。
「記録を後から読む人が救われることはたくさんあるさ。……色々な意味でな」
「うん」
「じゃあレオ、俺は正午にブラッドさんに呼ばれているからそろそろ記録室を出る。手間をかけるが、記録を片付けておいてくれ」
 そう言い残すとフリーは部屋をパタパタと忙しなく出ていった。レオは机にあるインクや羽ペンをウォルナット材の道具箱にしまい、蓋をした。記録も本棚に差し戻す。ふと本棚の一番最初の記録は何が書いてあるのか気になり、棚の下段、一番左隅にあった記録を手に取った。表紙の赤い革布は経年で色褪せており、表紙には「ゴーレム山賊団」と書いてある。不思議と埃は積もっていなかった。折ぐせのついたページをめくる。

 1007年 記録者 ウォルラス・ファリオン
 文字の上には指でなぞったような跡が見てとれた。おそらく、フリーがこのページを開けて見ていることがあるのだろう。残る筆跡は、フリーよりも遥かに端正な文字だが、どこか感じられる几帳面さがフリーの文字と重なって見えた。レオもその字を指でなぞると、見たことのない師匠ひとの姿が見えるようだった。

   ◇

「えー! 俺、室内で記録書くより外で手合わせしたいな。なあレオ、こんなに晴れているんだしさ。だいたい、記録取って何の役に立つんだよ?」
 騎士団本部の外廊下に嘆く声が響いた。頭に巻いた橙のバンダナを両手で押さえ、残念そうな表情を浮かべる戦士、エイドの声だ。  エイドはつい最近騎士団に加入した団員で、スクーレの時計塔に登り街全体を把握しようとした怖いもの知らずだ。レオから見れば、命知らずとも恥知らずともいうのかもしれない。親がゴーレム山賊団のときの団員で、ブラッドの一声で加入が決まったのだった。バルクウェイから出たばかりで、実戦経験には乏しい。エイドはそれを少なからず焦りに感じており、頻繁に稽古をしたがる。レオはエイドに釘を刺した。
「うるさいぞ、エイド。一義的には、戦闘記録をしっかり残してあとの団員たちが戦いやすくするためだ。僕たちは命のやり取りをしているんだ、遊びに行くんじゃないからな。後輩が生き延びるために僕たちが手を抜いた仕事をするわけにはいかないんだ。……くそ、説教くさいのは苦手なんだ。僕にこんなこと言わせんなよ」
「でもさ……」
「うるせえ、ついてこい」
「はーい」
 エイドは不服そうにレオに従い、外廊下から記録室に到着した。記録室は本の日焼けを防ぐために北側にしたんだ、とブラッドが最近口にしていたことを思い出した。あの昼行燈、何か考えていないようでたまに何か考えているなとそんなことを思い出しながらドアを開ける。
 相変わらずぼんやりと光が差している部屋で、差し込む光は南向きの部屋と比べて薄明かりだが、優しい温かさをたたえていた。
「エイド、インクとペンの入った道具箱をもってこい。二組な」
「はあ、おっさん、人使い荒いな……」
「おっさんいうな。黙って働けこの若造」
 エイドはへいへーいと気の抜けた返事をしながら道具箱を取りに行った。レオは改めて本棚を見る。自分が来たときは壁一面の本棚が三段分埋まっているだけであったが、長い歳月を得て、九列ほどが埋まった。その記録の長さは、自分が騎士団ここに来た歴史そのものだ。  レオはおもむろに棚の上段からある巻を引き抜いた。色褪せた表紙からは、長い年月の経過を感じさせた。レオはおもむろにその本のページを開き、ある一文を見つけると目を細めた。

 1013年 記録者 フリー・アルヴァロス

 指でその筆跡をなぞる。これはきっとあのときの文字だろう。フリーの文字を書く背中越しの姿が鮮明に瞼によみがえった。
  ――きっと師匠ウォルラスの文字を追っていたであろうフリーの姿は、今の僕そのものだ。無論、あんなに几帳面に文字は書かないが。

 窓の外は、快晴。今頃師が何をしているかわからないが、きっとスクーレとティゴル谷も同じ空で繋がっているだろう。今は、その事実だけで繋がりを感じるのに十分だった。胸にかけたクガイブナの葉のお守りをそっと握りしめる。あのときの師の背中を思い出し、金色の長い睫毛を閉じた。エイドが開けた窓から、暖かな風が吹き込んできた。

あとがきなど
2024年11月16日〜17日開催のヴィーナス&ブレイブスWEBオンリー「メモワールオブブレイブス」に展示のフリーとレオのSSです。
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