『旅人の本』について


CPなし。ブラッドとフリーとレオとヴィヴィちゃんがただひたすら楽しくわちゃわちゃしてます。(1914文字)


 夕闇の空には明るい三日月が上り、優しい光がスクーレの建物を照らす。彩度の低い群青色から灰色にグラデーションの掛かった空はすぐに深い黒色に変わった。騎士団本部の面々は訓練の後のお楽しみの食事を終え、ある団員は自室に帰り、ある団員はそのまま食堂で酒を飲み、思い思いの時間を過ごしていた。
 食堂は大きな十人がけのテーブルが二脚あるほかにも、部屋の隅に六人ほどが掛けられる簡易なカウンター席があった。レオはここで遠征先の町や村で収集した歌を書きつけたメモを整理するのが日課であった。自室の静かな中で行うのもいいが、適度な雑音が流れる食堂の方が集中できるような気がしていたからだ。以前ハイメープル農園で村人に教えてもらった曲を譜面に起こしながら曲を口ずさむ。曲に呼び寄せられたのか、光に照らされた大きな影がレオの前に伸びた。フリーだった。フリーは食堂中央のテーブルで酒を飲んだ後だからか、人より少し長い耳がほのかに朱に染まっている。
「なあレオ、今日の訓練の後、ブラッドさんに本をもらっていただろ? どんなことが書いてあるんだ?」
 フリーの丸い瞳が興味深げに光に揺れた。
「遠征先で入手した『旅の本』のことか? 百聞は一見にしかず、勝手に見ろ。僕はあまり興味がないから読んでないけど」
「せっかくブラッドさんからもらった本なんだから確認した方がいい。何より自分の装備品はこまめに……」
 フリーの説教が始まる予感がしたので、レオは言葉を遮り無言でフリーの胸元に本を押し付け渡した。フリーは意に介さず旅の本を受け取った。
「どれどれ、『グランタロス湖釣り入門』、『必食! 南アクラル地方のグルメ』、『王都から散策に出よう! フェアリールビーの森の歩き方』……これは……観光ガイドだな」
 フリーは戸惑いながら視線を記事に落としている。レオは眉間に皺を寄せた。
「はあ⁉︎ ブラッドはなんでこんなもの僕に持たせるんだよ」
「こら、ブラッドさんにも何か考えがあるかもしれないだろ」
「あの昼行燈、絶対にそんなに深く考えてないぞ!!」
「まあそういうなよレオ、能力値は上がっただろ?」
 二人の背後から青白い肌を持った青年が声をかけた。表情には人懐っこい笑顔を浮かべている。
「ブラッド! 僕がホワイトローズベリーを煎じた薬で研究した旅人の薬をアディに渡して、僕にこんなもの寄越しやがって……!」
「アディの攻撃補助の技術の習熟度はレオほど高くないんだから、補完する装備があって当然だろ。大丈夫、お前だったらこの旅人の本だって使いこなせるさ」
「はぁ? こんな観光ガイドを戦闘の何に使えっていうんだ」
「それは……レオの創意工夫に任せるよ」
「丸投げじゃないか!」
 ブラッドはレオにウィンクを送る。レオは四捨五入して四百歳の男のウィンクなんてもらっても御免だと思いつつも、それを口にしてこれ以上無益な会話を発生させないよう押し黙った。フリーはその様子を一瞥もせず、旅人の本をパラパラと眺めながら感想を口にした。 「レオ、俺は本はあまり読まないんだが、こう眺めると面白いな。知らない場所の知らないことについて学ぶ機会ができるだろ? 俺はティゴルとバルクウェイと、ほんの少しスクーレを知っているだけで、世界のことをあまり知らないからな……」
 フリーの思いもよらぬ一言にレオは面食らった。
「僕だって、スクーレくらいしか知らないけど……」
 フリーは鳶色の瞳を細め、優しくレオに語りかけた。
「ブラッドさんも広い世界を知れっていうメッセージを込めてこの本を送ったんじゃないか?」
「まあそんなところだ、頼むよレオ」
「絶対違うだろ!? いい話風にしやがって……!」
 釈然としないが状況は一対二、分が悪い。なんでこんなことで劣勢に立たされなければいけないんだ。様々な念がレオの中にふつふつと湧き上がった。その最中、女の声が場に響く。
「ブラッド! この本の使い方、あたしが教えてあげる!」
「ヴィヴィ!!」
 紫の高帽子を被った神出鬼没の女がブラッドの肩に右手をかけた。左手にはちゃっかりと騎士団の酒のグラスを拝借し味わっている様子だった。どう見てもレオの形勢逆転の力にはなりそうにない顔だ。
「いや……遠慮しておくよ」
「ブラッドったら恥ずかしがり屋なんだから、遠慮なくあたしに飛び込んで……」
 そもそもなんで僕はこの酔っぱらいどもに遠征の記録の整理を邪魔されてるんだ……? 自身の仕事をやりきれない苛立ちがレオを支配し、爆発した。
「お前ら帰れ!! 頼むから僕の仕事の邪魔をしないでくれ……!」
 レオの悲痛な声が食堂に響き渡ったが、酒を飲んでいた団員達の笑い声でかき消えた。騎士団のいつもの日常である。

  ◇

 ヴィヴィはその叫び声の響く間に食堂を抜け出て呟いた。
「旅人の本の効果、お坊ちゃんの攻撃力がばっちり上がってるじゃない? うふ!」

あとがきなど
2024年夏コミC104で頒布した無配ペーパーに載せたお話です。 ヴィヴィちゃんがレオのことをお坊ちゃんと呼ぶのが地味に好きです。
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